後悔先に立たずにならないといいですね

スポーツ報知
真央がトリノに出ていたら「金」…城田元強化部長
配信日時:2017年4月12日5時0分 スポーツ報知
http://www.hochi.co.jp/sports/winter/20170411-OHT1T50268.html

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05年GPファイナルのフリーで笑顔を見せながら演技する浅田真央

 10日に引退を表明したフィギュアスケート女子の2010年バンクーバー五輪銀メダリスト・浅田真央(26)=中京大=。98年長野から06年トリノ五輪まで日本スケート連盟フィギュア強化部長を務め、現在はANAの監督として活躍する城田憲子氏が強烈な出会いの印象を明かし「トリノ五輪に出ていたら金メダルだった」と語った。

 荒川静香が金メダルに輝いたトリノ五輪に、もしも14歳だった真央ちゃんが出場していたら―。金メダルを取っていたと今でも思っている。トリプルアクセルを跳べればという前提になるけど、真央ちゃんは、おそらく満点近い点数をジャッジから与えられる要素を持っていた。氷上での美しさであり、ジャンプのダイナミックさ、そして演技力。トリノには彼女を8歳から育成してきた強化の責任者であった私が、誰よりも出したかった。

 初めて会ったのが彼女が8歳の時。これは私の長い強化の人生でも永遠の思い出。夏の長野・野辺山での有望新人合宿に山田満智子コーチが姉の舞さんといっしょに連れてきた。厳しい山田先生が「すごいのよ」と言う。基礎を教えるのがうまい門奈(裕子)コーチの指導を経ての来訪とも聞いていたけど、ひと目見た瞬間、滑りすら見てないのに、「この子は将来、必ず世界チャンピオン、五輪で金メダルを取るな」と直感した。エレガントさがあり、何と言ってもキュート。これって理屈じゃない。せっかく来てくれたのに、名古屋までそのまま帰すのもかわいそう。合宿に入れる年齢は9歳からだったけど、ルールを取っ払って入れた。

 フィギュアスケーターの育成は、花を咲かせることに似ている。水をやりすぎると根腐れしちゃうし、日に当てなければ育ちが遅くなる。今だけでなく、先々へ考えを巡らせなくてはならない。02年全日本選手権は出場資格の年齢の壁をなくし、若年層にも幅広く門戸を広げた。当時小学6年生、12歳だった真央ちゃんはトリプルアクセルは跳ばなかったけど、3―3―3回転を降りて7位。ジャンプに確実性があり、ぶれない軸の強さがあった。戦うことにちゅうちょしない子だったけど、全日本に出す前の経験と考え、海外のノービス(ジュニアの下のクラス)の大会に出した。幼い頃に海外の舞台に立つという経験は、将来世界に出たときに必ず役に立つことだから。頼み込んで出させてもらった大会で、いつも真央ちゃんが表彰台の真ん中だから、欧州のジャッジたちに「ミセス・シロタ! またですか(笑い)」と、うらやましがられたりもした。

 荒川ら世代との交代後、最高のライバル安藤美姫らと黄金世代を築き、フィギュア界に多くの恩恵をもたらせてくれた(※注)。広いアリーナでジャッジ、多くの観衆を魅了する演技をするフィギュアスケートは、類いまれなる能力がないとできない。そのトップを突っ走って時代を築いた浅田真央には、今度は1人の社会人として、もう一つの大きな花を咲かせて欲しい。

 ※注 浅田の登場で日本スケート連盟はスポンサーやチケット収入が劇的に増えた。シニアにデビューした05年度に約6400万円だった単年度黒字は13年度に11億円超まで膨らんだ。

◆城田 憲子(しろた・のりこ)東京都生まれ。立大卒。選手時代はシングルとアイスダンスで活躍し、ダンス部門全日本選手権2連覇。引退後は日本スケート連盟で選手強化を手掛け、98年長野五輪から、荒川静香が日本初の金メダルを獲得した2006年トリノ五輪まで日本スケート連盟フィギュア強化部長を務めた。国際審判員とレフェリー資格を持ち、五輪などの国際試合でレフェリー、ジャッジも務める。現在は羽生結弦が所属するANAの監督。

サンスポ
トリノ五輪「金」候補も誕生日87日遅かった…競技人生最初の壁
配信日時:2017.4.12 10:00
http://www.sanspo.com/sports/news/20170412/fgr17041210000003-n1.html

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2005年のグランプリファイナルで金メダルを獲得した浅田(中央)。左は3位の中野友加里

 真央の競技人生最初の“不運”は、誕生日に由来していた。

 15歳になった2005-06年シーズンに初めてシニアの国際大会に出場し、グランプリ(GP)ファイナルで優勝。06年2月のトリノ五輪で金メダル候補に挙げられて当然だったが、出場資格がなかった。

 当時の規定では、14歳ならGPシリーズに出場できた。しかし五輪や世界選手権は、「五輪前年の6月30日時点で15歳」以上であることが条件。1990年9月25日生まれの真央は、87日遅かった。

 国際スケート連盟(ISU)は制限の理由として、子供の成長を妨げる過度な練習や精神的重圧を避けるとの医学的見地を挙げていた。GPシリーズは認めて五輪は認めないのでは、筋が通らない。ある関係者は「医学的見地は建前」と打ち明けた。

 当時は10代半ばで世界の大きなタイトルをつかんだ選手が、すぐにプロに転向する傾向が強かった。米国などでは有望選手の周りを小さいころからエージェントが固め、タイトルは利権に直結。ある選手は五輪の金メダル獲得後、メダリストのエキシビションで3分ほどの演技に出演料2000万円を要求したという。スターが誕生してはプロに流出するのは、ISUにとって痛手。その防衛策の一つが年齢制限という説明だった。

 当時のISU会長も「個人的にはマオを五輪で見たいが、会長としては別」と、真央への特例措置を却下。真央は目の前にあった五輪に、手が届かなかった。 (特別取材班)

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今のままでは、真央はヨナに勝てない
公開日時:2015-08-24 17:00
http://nutscopanda.blog.fc2.com/blog-entry-316.html

敵は国内の重鎮
公開日時:2015-09-03 19:30
http://nutscopanda.blog.fc2.com/blog-entry-377.html

10年後、GPシリーズ初参戦の地で
公開日時:2015-11-07 05:15
http://nutscopanda.blog.fc2.com/blog-entry-595.html

> 荒川静香が金メダルに輝いたトリノ五輪に、もしも14歳だった真央ちゃんが出場していたら―。金メダルを取っていたと今でも思っている。
城田女史は副怪鳥さんを厚遇していて、今や脱ぐまで堕ちた村主姐さんを冷遇していたよね。副怪鳥さんに五輪チャンピオンになって欲しかったから、真央さんがトリノ五輪に出場できなくてほっとしたことでしょう。

> トリノには彼女を8歳から育成してきた強化の責任者であった私が、誰よりも出したかった。
じゃあ、出してやれば良かったのに!何のロビー活動もしなかった。上の写真「05年GPファイナルのフリーで笑顔を見せながら演技する浅田真央」のように、こんなに楽しそうにスケートする妖精さんのようなスケーターがかつていただろうか?

> 合宿に入れる年齢は9歳からだったけど、ルールを取っ払って入れた。
日本国内の事は女帝城田女史の思うがままにできるでしょう。それより国際的な交渉ができるかどうかの方が重要だよね。

真央さんが15歳の時、トリノ五輪に出場できなかったから、そして、バンクーバー五輪で優勝できなかったから、ソチ五輪まで現役を続けた。ソチ五輪で悲願の金メダルが獲れなかったから、また現役復帰しようと思った。

結果的に真央さんが悲運だったから、現役が長く続いたともいえる。ファンは長く真央さんを見ることができて幸せだったけど、真央さん本人にとってはやるせない気持ちでいっぱいだっただろう。

それでも、愚痴ひとつ言わずひたむきにフィギュアスケートに励む姿を私達に見せてくれた。五輪のメダルと才能&人気は全然別物ということが、真央さんの存在で証明されたよね。

> 浅田の登場で日本スケート連盟はスポンサーやチケット収入が劇的に増えた。シニアにデビューした05年度に約6400万円だった単年度黒字は13年度に11億円超まで膨らんだ。
真央さんがプロに転向して、スケ連に入る収入は減るでしょうね。スケ連は今まで真央さんを助けなかった。そして、現役生活を長引かせて、収入を得てきた。今からスターを作ろうと思っても無理。真央さんの人気は作られたものじゃないからね。
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