浅田真央はフィギュアスケート界の巨人

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フィギュアスケート、氷上の華
「これからも笑顔を忘れず、前進を」 浅田真央が私たちに残した“レガシー”。
配信日時:2017/04/12 15:00  執筆者:田村明子
http://number.bunshun.jp/articles/-/827846

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現役最後の大会となった昨年末の全日本選手権、フリー演技。左膝の怪我を押しての出場だった。

 4月10日、浅田真央が自身のブログで競技引退を発表した。

 予想されていなかったことではないとはいえ、彼女がスケート界に与えてくれたものの大きさを考えると、寂しさを感じずにはいられない。

 正直に言うのなら、四大陸選手権でも、ヘルシンキ世界選手権でも、記者たちが集まると、浅田真央はどうするのだろう、という話題は何度も出てきた。

 怪我で思うような滑りができずに、全日本選手権で12位という成績に終わった今シーズン。だが怪我さえ回復すれば、少なくともGPファイナルに進出した2015-'16年シーズンのレベルに戻すことは可能だと筆者は思っていた。日本女子が平昌五輪3枠を取れば、浅田にはまだ3度目の五輪出場の可能性もあるとも思った。だがヘルシンキ世界選手権で、日本代表3人はベストを尽くしたが、3枠確保はならなかった。これで浅田の五輪の夢は難しくなった、と思った。

 五輪枠問題では誰に責任があるというわけではない。

だが五輪3枠を取れなかったヘルシンキ代表の選手たちに責任がある、と受け止められると困る。

 3人中2人が初出場というプレッシャーの中で、彼女たちは精一杯のことをやった。中間層が予想以上に良い滑りを見せたこともあり、こういう結果になってしまったのは、勝負運が回ってこなかったと言うしかない。

 来シーズン、代表選考で苦しむのは自分たちだということを何より理解していたのは本人たちである。必死で戦った結果なのだから、恥ずべきことは何もないと思う。スポーツの現実的な厳しさだ。

 悔いの残らない最高の演技を、もう何度も見せてくれた。

 大方の関係者が予想していたのは、浅田は次の全日本選手権で悔いのない滑りを見せて、引退をするのではないだろうか、ということだった。

 だが浅田は、もうその段階を超えていた。

 彼女はすでに悔いの残らない最高の演技を、これまで何度も私たちに見せてくれていたのである。

「ソチオリンピックシーズンの世界選手権は最高の演技と結果で終える事ができました。その時に選手生活を終えていたら、今も選手として復帰することを望んでいたかもしれません。実際に選手としてやってみなければ分からない事もたくさんありました。復帰してからは、自分が望む演技や結果を出す事が出来ず、悩む事が多くなりました。」(本人のブログより)

 「フリーは真央が1位で当然だった」

 世界選手権もそうだが、ソチ五輪フリーで彼女が見せたラフマニノフのプログラムを、誰が忘れることができるだろう。

 フリー翌日にソチで会った元アイスダンス五輪チャンピオンのグエンダル・ペイゼラは「フリーは真央が1位で当然だった」と憤慨したが、ジャッジはあの演技に相応しいスコアを与えてくれなかった。だがあれは女子フィギュアに永遠に輝く、1つの記念碑だと思う。

 皆に思い出して欲しい演技というものを、彼女はすでに出し切っていた。その上で、まだ滑りたい、もう少し挑戦してみたいという思いにかられて2015年に競技に戻ってきて、選手として燃え尽きるまでその生き様を見せてくれたのである。

 復帰は周囲からのプレッシャーではないかという憶測も流れた中で、本人がこうして復帰していなければ、後悔していたとはっきり表明しているのは、救いである。

 浅田真央が私たちに残してくれたレガシー。

 浅田真央といえば3アクセルがトレードマークだったものの、選手としての彼女はジャンパーというよりも、人の心に食い込んでくる存在感を持つスケーターだった。

 どれほど厳しい表情をしても温かみがあり、滑らかなスケーティングと体全体を使った仕草ひとつひとつがハッとするほど美しい。

 十代の頃から多くの戦績を残してきたが、復帰をしてから見せた『蝶々夫人』の優雅さ、昨年の『火祭りの踊り』の妖艶な美しさは、未だに心に強く刻まれている。

「このような決断になりましたが、私のフィギュアスケート人生に悔いはありません。これは、自分にとって大きな決断でしたが、人生の中の1つの通過点だと思っています。この先も新たな夢や目標を見つけて、笑顔を忘れずに、前進していきたいと思っています。皆様、今までたくさんの応援、本当にありがとうございました。」(本人のブログより)

 引退声明は、こう結ばれていた。

 多くのファンが涙を流したに違いない。

 たおやかで細身の体だったが、浅田真央はフィギュアスケート界の巨人だった。彼女を見てスケートのファンになった大勢の人々、彼女に憧れてスケートをはじめた選手たち。三原舞依も、ヘルシンキ世界選手権では浅田真央の映像を見て勇気付けられたと語っている。

 それらは、浅田がフィギュアスケート界に残したレガシーである。

 彼女が残してくれた多くの偉大なものを、私たちは忘れないだろう。

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https://twitter.com/PeizeratGwendal/status/851493014929276929

偉大なキャリアの真央、おめでとう。競技の圧力がない氷の上で私たちを喜ばせ続ける。再びあなたとスケートすることを希望します

フランスの元アイスダンス五輪チャンピオンのグエンダル・ペイゼラさんはソチのフリーの演技について、「真央さんが1位で当然」だと言ってくれていたんだねえ。それは初耳だった。

アイスダンスはジャンプがないので、シングルとペアの演技には興味がないのかなあと思ってしまうけど、ちゃんと見ていてくれているんだね。

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アメリカNBCのソチ五輪の解説は長野五輪チャンピオン、真央さんの憧れのタラ・リピンスキーと全米チャンピオンでかつ氷上のアーティストであるジョニー・ウィアー。お二人のコメントがとっても温かい。

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Number5/5特別増刊号「永久保存版 浅田真央 ON THE ICE 1995‐2017」 (Sports Graphic Number(スポーツ・グラフィック ナンバー)) 雑誌 – 2017/4/21

内容紹介
永久保存版 浅田真央
MAO ASADA
ON THE ICE 1995-2017

4月10日に現役引退を発表した浅田真央選手。
その21年間におよぶフィギュアスケート人生の
全てが詰まった永久保存版の“ベストアルバム"です。
全84ページの誌面では、鮮烈な初優勝を果たした2005年GPファイナル、
銀メダルを獲得した2010年バンクーバー五輪、
そして世界中の感動を呼んだ2014年ソチ五輪を含めた
浅田真央選手の軌跡を、厳選した美しい写真と文章で振り返ります。
さらに浅田選手が尊敬したやまない先輩・伊藤みどりさん、
恩師のタチアナ・タラソワ、ローリー・ニコル、
盟友・鈴木明子さん、小塚崇彦さんらがNumberだけに寄せたメッセージ、
公式戦全記録と彼女が演じた全プログラムが一目で分かる完全年表など、
この特別増刊号でしか見られない記事が満載です。

―永遠に残る名シーン―

[栄光の瞬間1] ソチ五輪2014

[天才少女、夢の結実]文●野口美恵
浅田真央「恩返しのスマイルを」

[栄光の瞬間2]
バンクーバー五輪2010

[密着ドキュメント]文●宇都宮直子
浅田真央「折れなかった心」

[伝説プレイバック]文●野口美恵
MEMORIAL GALLERY 2005-2017
2005-2010 無邪気な天才少女から孤高のアスリートへ
2010-2014 佐藤コーチと二人三脚で挑んだ集大成のソチ五輪
2015-2017 もう一度跳びたかったトリプルアクセル

―親愛なる真央へ―

[巻頭エッセイ]文●宇都宮直子
彼女は決して負けなかった

[特別メッセージ]文●野口美恵
伊藤みどり「真央ちゃん、引退おめでとう」

[ラストメッセージ]
私の愛した真央
鈴木明子/ラファエル・アルトゥニアン/タチアナ・タラソワ/ローリー・ニコル

[友情と尊敬の12年間]文●松原孝臣
小塚崇彦「“人間力"あふれる理想の選手でした」

[伴走者の追想]文●松原孝臣
小塚嗣彦「ソチのフリーは奇跡ではない」

―素晴らしき記録と記憶―

[記憶に刻まれる1日]文●松原孝臣
15歳の世界女王―2005年GPファイナル

[記録で読み解く]文●田村明子
浅田真央が残した偉大な足跡

[公式戦全成績&全プログラム付完全年表]
浅田真央26年史
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