賢人の言葉

東洋経済オンライン
科学の世界でも「イメージ」が大切
SF作家・小松左京氏②
配信日時:2010年04月14日 週刊東洋経済編集部
http://toyokeizai.net/articles/-/4081

150608-3-1.jpg

こまつ・さきょう 1931年大阪生まれ。SF作家。京都大学文学部卒業。経済誌記者などを経て、62年にSFプロデビュー。73年発表の『日本沈没』は400万部を超えるベストセラーに。代表作に『復活の日』『果しなき流れの果に』『首都消失』など。大阪万博や花の万博のプロデューサーも務めた。

 僕は還暦を迎えたパーティの席で、「これからは文学原論を究めるために作家に専念する」とあいさつしました。それまで引き受けていた博覧会のプロデューサーや諸々の委員、社長業などからすべて自由になると決めたのです。

 実はその40年前、プロの作家としてデビューする前の同人誌で、「文学の科学を確立しなければならない」と宣言していました。小説家の高橋和巳らと一緒に作った同人誌です。当時から文学の本質を定義づける必要があると思っていたのです。

 しかし40年間作家をやってきても「文学とは何か」を定義づけるまでに至っていませんでした。

 先日のバンクーバー五輪のフィギュアスケートでは、浅田真央さんがキム・ヨナさんに負けました。僕にはその理由がよくわからなかった。真央さんのほうが人間として華があると感じた。「華」というあいまいなものに対してフィギュアスケートはきちんと評価する基準を持っているものと思っていましたが、文学の定義づけと同様、現実にはなかなか難しいようです。

文学も科学も共有できる世界がある

 「文学とは何か」と追究していく中で気がついたことは、「物語性」です。ストーリーはヒストリー(歴史)と同じ語源で、「調べる」「尋ねる」という意味がありますが、「うそ」「作り話」という意味もあります。人間は言葉を使い始めたときから、「物語」を作り続けてきたのではないでしょうか。それが口承文学として語り継がれ、神話や説話、歴史になってきたのではないでしょうか。その頃の「物語」は、あらゆるイメージの総体として「哲学」と言ってもよかったかもしれません。それがある時期から「科学」と「文学」に分かれてきたのです。

 僕がSFに惹かれたのは、そうした「文学」と「科学」を、もう一度、「哲学」に一体化できるかもしれない、という気がしたからです。

 科学の世界には「虚数」という概念があります。英語で言うと「イマジナリーナンバー」です。そうです。科学の世界でも「イメージ」することは大切なのです。文学も科学も共有できる世界があるのです。

 僕はいろいろな先端科学者と交流してきましたが、彼らの多くは実に人間的で、SF作家もビックリするくらいとんでもない発想をします。

 科学者が解明した世界から物語を編み出すと同時に、「美」や「愛」といった、数式では表現できない世界を文章で表現することによって、逆に新しい科学のイメージが広がるかもしれない、と思っています。

( *・x・)( *・x・)( *・x・)( *・x・)( *・x・)( *・x・)( *・x・)

思想に関係なく本物の審美眼洞察力を持っている人には、真央さんの方が素晴らしいと分かるよね。お金で点数を買ってるんだもの。ルールを変えて国ぐるみで優勝するようにした事は大したものだなあと感心はする。

日本は個人に頼りすぎている。国営のオリンピック選手養成所はないし、以前は企業がスポーツ事業に取り組んでいたけど、景気が失速して、実業団も廃れてしまった。

学校の部活動に頼るのが一番おかしい。高校は私学であれば、ある程度専門のコーチや監督を抱えている。中学校は公立なら転勤して来たその競技未経験の教師に部活の顧問にさせたりといい加減。後は、精神論根性論で乗り切るという旧態依然の非科学的なスポーツ。

日本は止めたらいいのにと思う部分の福祉が過剰に手厚く、諸外国ではセーフティネットの対象の事に対しては自己責任論を振りかざす。スポーツは余裕の産物というのであれば、日本国として負け続ける。スポーツは代理戦争なんだよ。
関連記事
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
コメント:
パスワード:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
page back