失敗が教えてくれること①

失敗が教えてくれること
失敗が教えてくれること 単行本(ソフトカバー) – 2014/5/22
竹内 薫 (著), 徳永 太 (監修)

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http://www.horei.com/book_978-4-86280-405-1.html

浅田選手は、なぜ一夜にして立ち直れたのか

 2014年冬季のソチオリンピック。

 悲願の金メダル獲得がかなわなかったにもかかわらず、日本中に感動をもたらしたのが、女子フィギュアスケート浅田真央選手のフリープログラムの演技でした。

 2010年のバンクーバーオリンピックで銀メダルに終わった浅田選手は、その雪辱を誓い、満を持してオリンピックに挑まれたのですが、得意なはずのショートプログラムでまさかの大失敗・・・・・・。

 「自分でも何が起きたかわからない」

 無表情で答えた浅田選手に、多くのファンが胸の張り裂けそうな思いに駆られたはずです。

 浅田選手のような世界トップクラスのアスリートが、なぜオリンピックの晴れ舞台で失敗してしまったのか。

 その理由を探る手がかりは、浅田選手の表情にありました。

 オリンピック出場経験のある人の多くが認めることは、「オリンピックは緊張する」ということです。しかし、この緊張は「オリンピックでかつには絶対に必要だ」ともいいます。

 なぜでしょうか。

 人は、適度に緊張しているときにこそ、最高のパフォーマンスが発揮できるからです。

 ところが、ソチオリンピックでショートプログラムに臨んだ浅田選手は、おそらく適度に緊張しているとはいえない状態でした。

 緊張には、良い緊張と悪い緊張があるのです。「良い緊張」とは不安のない緊張です。「悪い緊張」とは、不安でいっぱいの緊張です。

 この本の監修をお願いした徳永さんによると、報道の映像で確認する限り、ソチオリンピックで浅田選手がショートプログラムに臨まれたときの表情には強い不安が感じられたそうです。つまり、あのときの浅田選手は、ほぼ間違いなく、悪い緊張の中にいたのです。

 浅田選手がソチオリンピックの会場に入ったときの表情は、私も報道の映像で確認しました。

 私には「万全の準備が整えられた」という自信に満ちた表情にみえました。

 ところが、ショートプログラムの直前は不安に満ちた表情だった。

 浅田選手は、なぜ本番の直前で不安に襲われてしまったのか。

 さまざまな人がさまざまな憶測をしていますが、私たちの推測は「浅田選手が個人線に先駆けておこなわれた団体戦へ無理に出場してしまったことが原因ではなかったか」というものです。

 浅田選手は、女子フィギュアスケートの個人戦ショートプログラムに出場される前に、フィギュアスケートの団体戦にも出場されていました。

 スポーツ・ジャーナリストによると、ふつう団体戦というものは個人戦のあとにおこなわれるのだそうです。個人戦で全力を出しきったあとの余力で代表チームとしての総合力を競い合う。それが、団体戦の醍醐味だそうです。

 ところが、ソチオリンピックのフィギュアスケートでは、なぜか団体戦が個人戦の前におこなわれました。他の人気競技の団体戦と、日程をずらすためであったといわれています。

 このことが、浅田選手の心理に重大な影響を及ぼした可能性は低くないと、私たちは考えています。

 これは、浅田選手自身にしかわからないことですが、本当はバンクーバーオリンピックの雪辱に徹したいとのお気持ちが強かったのではないでしょうか。

 しかし、日本女子フィギュアスケートの絶対的エースとしての責任感から、団体戦にも出場することを了解してしまった。

 もちろん、そこは、厳しい見方をすれば、浅田選手の自己責任ともいえなくもないのですが、「個人戦の雪辱は果たしたい。けれど、団体戦の責任も果たしたい」という思いは、人として自然な感情です。誰にも責められるべきことではないと、私は思います。

 では、団体戦に強行出場されたあとで、浅田選手が個人戦ショートプログラムの演技を失敗しないようにするには、何が必要だったのでしょうか。

 それは、まずご自分の感情をありのままに受け入れることでした。感情を軽視しないということです。

 もし、浅田選手が、個人戦ショートプログラムの演技に入る前に強い不安に襲われていたのだとしたら、その不安をありのままに受け入れ、なぜご自分が不安なのかを冷静に自問される必要がありました。

 「私は不安だ。なぜだろう?」

 そうすれば、浅田選手は現状を正しく認識するチャンスを得られたはずです。

 「本当はバンクーバーの雪辱に徹したかったけれど、できなかった。団体戦に出てしまってコンディションがよくない。バンクーバーの雪辱は果たせないかもしれない」

 人の感情は、多くは無意識のレベルで生じていると考えられています。

 人の心は自分で意識できる部分が大半だと思われがちですが、どうもどうではないようです。少なくとも多くの心理学者や神経科学者たちは、むしろ意識できない部分が大半ではないかと考えています。

 というのは、自分で意識して判断したときと無意識に判断したときとでは、無意識に判断したときのほうが圧倒的に正確らしいからです。

 これは、人の脳がおこなう情報処理は、ほとんどが無意識のレベルでおこなわれていることを示唆しています。

 つまり、人の感情は、そうした脳の情報処理の結果だけを端的に反映したものと考えられているのです。

 例えば、不安が強いときというのは、自分が意識していないところで何か悪いことが起こっているという事実を脳がこっそり教えてくれている、と考えることができます。

 ソチオリンピックで個人戦ショートプログラムに臨んだ浅田選手が、自身の強い不安から現状を正しく認識されていたとしたら、結果は違ったものになっていた可能性があります。

 「団体戦に出てしまった時点で、個人戦の雪辱は難しくなった。でも、団体戦に出るべきだという自分の気持ちにウソはなかった。しょうがない。ダメでもともと、できる範囲で精いっぱい頑張ろう!」

 そう開き直ることができたなら、案外、思い通りの演技ができたかもしれません。

 正しい現状認識のために、脳がこっそり教えてくれる手がかり、それが感情だという考え方は、このように活用することで失敗を未然に防ぐ手立てとなりえます。

浅田選手に「バックアップの思い」が届いた

 浅田選手は個人戦のショートプログラムでの失敗から、たった一夜で復活し、フリープログラムで「金メダルより価値がある」といわれるほどの演技をしました。

 これは、どういうことなのでしょうか。

 理由は二つ考えられます。

 一つは、浅田選手の心に「バックアップの思い」が届いたからです。佐藤信夫コーチや会場の観客席のファンおよび世界中のテレビの前の人たちの思いが浅田選手に伝わったのです。

 実は、浅田選手はフリープログラム当日の公式練習でも、前日のショートプログラムの失敗をひきずっていたそうです。

 それは人として自然な感情です。仕方のないことです。

 それを察した佐藤コーチは、浅田選手をリンクに送り出すときに、こう語りかけたそうです。
「34年前に高熱を出しながらも最高の演技をした教え子がいる。リンクで何かあっても大丈夫だ。私が助けに行く」

 佐藤コーチの「バックアップの思い」は、世界中の浅田選手のファンの思いと重なっていたことでしょう。

 「私は一人じゃない」

 そう浅田選手は悟ったに違いないのです。

(中 略)

(○´・Д・)σ②に続くーよ~♪
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