映画「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」②

花澤香菜がテル役に決定!『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』本編映像一部解禁

https://youtu.be/lKrJ-2lND3E  2019/09/19

12月20日(金)公開『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』に花澤香菜さんの参加が決定しました!
花澤さんが演じるのは、主人公すずが遊郭で出会う、心優しい九州出身の女性。
少ない登場シーンにも関わらず原作ファンの人気も高いテルは、映画でははじめて登場する新キャラクターです。
テルの切なくも愛らしい言葉の奥にどんな想いが込められているのでしょうか。映画本編への期待が湧くワンシーンが解禁です。


一遍で他所の地方の人がしゃべっていると分かりますねえ。こんなに語気が柔らかい人は九州にいないでしょう。私はきつく聞こえるので苦手なんですけどね。家庭で使わなかったので、余計にそう感じるのかもしれません。

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で、テルちゃんの話す九州弁はどこのものなのかというと、エンドロールで「飯塚弁指導」という文字を発見致しました。筑豊弁でしたか。福岡県内でも、方言が全然違っており、私は聞き取れないし分かりません。

昨年舞鶴市で出会った旅好きの東京の人曰く、その人の耳には静岡県から西は関西弁に聞こえるのだそうです。うーん、少し無理がありますねえ。日本語の成り立ちとしては、京都を中心として言葉が伝播するんですよね。

静岡県は東京の方が断然近いですから、関西弁にはほど遠く感じますし、関門海峡を越えた九州は全然違いますねえ。九州は島ですが、九州全域同じ言葉という訳ではないので、全部ひっくるめて一緒くたにするのはちょっと暴論かなあと思います。

のん&岩井七世、公開アフレコ&インタビュー映像解禁!『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』

https://youtu.be/exoRBcElqKE  2019/10/10

12月20日(金)公開『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』。
主人公・北條すず を演じたのんと、追加となるシーンで主に描かれる白木リン を演じた岩井七世の、本作の公開アフレコ&インタビュー映像が解禁です。
3年振りにすずとリンを演じたことや、苦労した広島弁での会話など、アフレコ時の様子を存分に語っています。


のんさんと岩井七世さんは役にぴったりだし、アフレコが上手ですね。声の演技は演劇より難しいと思います。

のんさんは兵庫県の真ん中に位置する山の中の出身なんですね。連続ドラマ小説『あまちゃん』のイメージで岩手出身だと思われているけれど、実家に戻ると関西弁で話すそうです。なので、広島弁は案外距離が近くて、そんなに違和感ないのかもしれません。

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完全版ではすずさんがリンさんと会う場面が前作からさらに2度あります。しかし、実は二人は子供の頃に出会っていたという設定のようです。リンさんはすずさんのお祖母さんのいる草津の家の屋根裏部屋に暮らしていた座敷童子だったという設定だったのです。あり得ない設定ですが・・・(;^_^A

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映画の憲兵さんは二人ですが、原作では一人です。

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映画で晴美ちゃんがすずさんの右手と共に吹き飛ばされる前に、時限爆弾に気を付けるように言ってくれる消防士さんは原作では登場して来ません。これも映画ならではの登場人物です。

すずさんは消防士さんに「頑張ってつかあさい」と労います。「~つかあさい」というのは瀬戸内の方言ですね。特別テレビドラマ『坂の上の雲』でも出て来ましたので、伊予弁も使いますね。私は聞いた事がございませんが、ググったら福岡でも使うようです。

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周作さんがリンさんとの結婚を両親はもちろん小林の伯母さん夫婦にまで反対されて破談になったというのを匂わせるシーンは原作ではこれだけです。伯父さんは一言も台詞がありません。

ちなみにこの伯父さんは劇作家・演出家である鴻上尚史さんがモデルなのではと私は勝手に思い込んでいます (* ´艸`) ちなみに鴻上尚史さんは愛媛県新居浜市の出身です。やはり関連あるのかもしれませんね。

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映画ではお義父さんが広工廠(工場)で働いているシーンが出て来ます。原作にはそのようなシーンはありません。このお義父さんはものすごく優しくていい人なんです。サザエさんマスオさんのようなイメージです。

退職金が鍬(クワ)というのは辛いものがありますが、軍票が紙くずになった人もいれば、戦地で空襲で亡くなった方もいるので、命があるだけまだマシでしょう。

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径子さんの息子は黒村家(時計店)の跡取りとして下関の義両親の家に引き取られてしまいます。空襲で死んだ訳ではないので、戦後再会できたと想像します。その坊やの使っていた教科書に落書きがあるため、大人達で特に絵の上手なすずさんを筆頭に、晴美ちゃんのために描き直すシーンが映画にはありません。

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こうの史代さんは北條家の隣組の人の苗字を愛知県にちなんだ名前にしたのは意図的なのでしょうか?知多(知多市)さんと刈谷(刈谷市)さんなんて、愛知県の地名じゃないですか!

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知多さんは元看護婦で原爆投下後の広島に草履を届けに行くんですよ。

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その続きがあります。知多さんは原爆投下後の広島で被曝してしまい原爆症になり、日差しがまぶしくなり日傘を差して、足元が弱りヨロヨロと歩くシーンが出て来ます。

知多さんが原爆投下数日後の広島で被曝するのであれば、すずさんと周作さんが養子として迎える女の子が被爆していないのは矛盾してますよね。この子は原爆投下で母親を亡くしているのですから被爆者です。(被と被は意味が違います)

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1945年12月ぐらいにすずさん夫婦がこの女の子を家に連れて帰るのですが、小学校1年生なので抵抗力免疫力でいうと、この子の方が弱っていてもおかしくないのに、食べ物を漁って何とか元気に生きています。4ヵ月経っても髪の毛がさほど伸びてないのはアニメだからまあいいとして(笑)

すずさんと周作さんは二十代初めなのにもう子供を諦めたのか、たまたま駅で遭遇したこの少女を家に連れて帰って養子にします。死んだ晴美ちゃんより1つ上なので、晴美ちゃんの生まれ変わりとでも思ったのでしょうか。

戦前のイエ制度はイエを保てばいい訳で、親と子が血縁関係である必要はなかったのです。ですので、子がいない夫婦は養子縁組(知り合いや親戚の子供を貰うことが多い)が盛んでした。

翻って現在はどうでしょうか?結婚がイエ制度を保つためではなく、恋愛結婚で核家族となると、養子を貰ってまで育てる意味はありません。なので、実子にこだわり不妊治療になってしまうのでしょうね。

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渋谷天外さんが駅で荷物の重量を計る駅員の役を演じています。たったひとことの台詞なので、ご本人も悔しがっています。広島弁(安芸弁備後弁)はイントネーションは東京方式で、方言はほぼ関西弁ですね。ですから、渋谷さんは大阪の方なので難なく演じていらっしゃいます。

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朝鮮進駐軍の存在を描いているこうの史代さんはネトウヨなのかも。

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「~げな」は「~のようだ」という伝聞の言い方です。これは結構広い範囲で使う方言で三河弁宮崎弁まで広範囲です。

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「~しんさい」は西中国方言でしょうかね。これは標準語だと、「~しなさい」で命令調ですが、「~しんさい」だときつく感じないので角が立ちません。とても可愛らしい言い方ですね。

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「~けえねえ」というのも間延びしていて何とも可愛らしいのです。「~だからね」も可愛いけれど、「~けえねえ」はさらにのんびりしていていいですね。

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「そがいな」は「そのような」という意味です。「あがな」は「あんな」、「こがな」は「こんな」、「そがな」は「そんな」という意味です。これもまた、垢抜けておらず味がありますね。

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「ほうね」は「そうね」なのですが、備後弁になると「ほんま」になります。山口弁と石見弁は「本当?」の意味で、「ほうね」と返答します。

この物語はすずさんが3人兄妹で、旦那さんの周作さんは2人姉弟です。兄弟が多いとキャラの描き分けが大変になるので、この作品ではきょうだいが少ないですよね。この当時の人は夫婦どちらかが死別でもない限り、普通7~8人兄弟です。明治大正昭和初期生まれの人は10人以上の兄弟も珍しくありません。

江戸時代まで長兄が結婚して家を継いだので、次兄以下は未婚で家に居候か、あるいは丁稚奉公で手に職をつけて都会の長屋で独身生活というものでした。明治時代になって皆婚社会になり、人口が爆発的に増えたのです。それが、殖産興業総皆兵によって、急増した人口を吸収できる就業先がありました。

小学校(尋常小等学校)は、明治時代に義務教育化された当初は4年生でした。農家は借り入れ時に子供を学校に行かせることを嫌がりました。子供は労働力=機械です。今のように機械化されていないので労働は人海戦術です。まさに猫の手も借りたいという状況なのです。

家族計画なくボコボコ産んで(産めよ殖やせよ)、進学させる金なんか貯めてもないし保険という観念もないしで、長兄以外の男の子は軍の学校に行かせていました。裕福な家庭の男の子は旧制中学校に進学しました。中学校に進学するのに入試があったので、勉強が嫌いな子や貧しい家庭の子供は小卒で働き始めました。

戦後GHQのアメリカ教育使節団によって日本の学制が今のように制定されるまで、日本の教育は職業訓練が充実していました。手に職がつく教育でした。役に立たない物事を学びに学校に行くより、生きていくために意味のある学制でした。

女の子は小学校卒業して、経済的に余裕のある家庭は女学校に行かせました。そこでも、良妻賢母の教育で、カリキュラムは料理と裁縫ばかりで今のような勉強をしていません。本当に学術的な事を学びたくても、大学に行ける女性は非常に少なかったのです。よくて、師範学校で小学校の先生になるぐらいです。

戦前戦中は今ほど栄養状態が良くなかったので初潮を迎えるのが遅かったし、妊娠した分排卵が止まりますので、十代半ば~二十代前半で結婚出産した女性は四十過ぎて高齢出産することが可能でした。だから、子沢山が可能だったのです。

第二次大戦末期は男性が戦地に行っているので、ちょうど結婚適齢期の女性が余ってしまいました。この世代は結婚できなかった人が相当数いると思います。復員して来た人は自分より若い女性と結婚するので、女子挺身隊として工場で働いていた女性はかなり生涯未婚で通すか年の離れた男性と結婚するしかなかったのです。北への帰還事業の日本人妻の皆さんが大変美人ばかりなのがその事を物語っていますね。

映画『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』予告編

https://youtu.be/clpf5BXrpzc  2019/10/10

12月20日(金)公開『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』の予告編です。

すず(声:のん)が描いた “あいすくりいむ” や “ハッカ糖”、“わらび餅 など お菓子の絵について、リン(声:岩井七世)と楽しそうに笑い合う場面や満開の桜の木を背に語り合う場面など、2人のこころの交流が描かれた、愛らしく切ない予告編が完成しました。


この物語でリンさんという遊郭で働く女性が出て来ますが、学がなくても少々器量が良ければ働けて稼げるので、売春婦は結構良い職だったのです。ニダ国が慰安婦を可哀そうな女性という位置付けで日本に集り続けていますが、それは豊かになった今の時代の視点なのです。それが左翼の思考回路なのでしょうね。

炭鉱や海女は男女問わず上半身裸で働いている時代ですからね。農作業だって地主から土地を借りて耕す小作人がいて、農耕器具もないし馬牛も日本ではあまり使わないし、人力だけで機械のように働いていました。それに比べれば、遊郭は天国です。

あかん国は漢字を廃止(漢字は漢民族の文字なのになぜ日帝残滓なのでしょうか?)した結果、大学院まで行かないと戦前の事実を知ることができません。よって、曲解した稚拙な空理空論が世論になってしまうのでしょうね。
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