トリプルアクセルへの思いとバトン

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浅田真央&伊藤みどり、特別対談。 トリプルアクセルへの思いとバトン。
投稿日時:2019/05/04 11:00  執筆者:石井宏美(Number編集部) 写真:川島小鳥
https://number.bunshun.jp/articles/-/839203

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浅田真央(左)と伊藤みどり。2人のスケーターが対談で飛び切りの笑顔を見せてくれた。

1992年アルベールビル五輪の銀メダリストと、
スポーツの枠を超え、愛された国民的ヒロイン。
類稀な才能に磨きをかけ、代名詞トリプルアクセルで
時代をリードしたフィギュア界の伝説の2人が、
お互いの歩みを語り合い、新世代へエールを送った。
Number968・969号(2018年12月20日発売)の特集を全文掲載します!


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 日本女子フィギュアスケート界を牽引してきた伊藤みどりと浅田真央。女子で史上初となるトリプルアクセルを成功させた伊藤は、1992年アルベールビル五輪でフィギュアスケートでは日本人選手として初の銀メダルを獲得。

 そのバトンを受け継いだ浅田は、シニア初年度のGPファイナルに15歳で優勝し鮮烈なデビューを飾った。さらに2010年のバンクーバー五輪ではショートプログラム、フリー合わせて3度のトリプルアクセルを成功させ、銀メダルに輝いた。

 ともに名古屋出身で、山田満知子コーチに指導を仰いだ伊藤と浅田。トリプルアクセルを武器に、世界に挑み続けた二人の対談が、雑誌では初めて実現した。

 小5の時、飛行機の座席の隣が……。

伊藤 真央ちゃんを最初に知ったのは(愛知県の)県大会かな。まだ小さい頃だったけれど、すごく上手な子がいるっていう話はよく聞いていましたよ。

浅田 私が初めてみどりさんを見たのは、当時練習していた大須のスケートリンクです。みどりさんは引退後にプロの方たちの試合に出場するためにリンクに練習に来られていて。(樋口)美穂子先生と一緒に振付けをしていた様子を見ていた記憶があります。当時、私は小学4年生くらいで、幼いながらもみどりさんのジャンプの高さやスピードにとても驚きました。

伊藤 初めて話をしたのは何歳だっけ?

浅田 小学5年生の頃ですね。大須のスケートリンクでスケート靴を履いているときでした。うれしかったのは一緒に行ったカナダ合宿。10~15人いたなかで、幸運なことに飛行機の座席がみどりさんの隣だったんですよ。すごく緊張したけれど、みどりさんがいろいろ話しかけてくださいました。

伊藤 機内誌に載っていた世界地図を広げながら、真央ちゃんに自分が試合でどんな国に行ったとか、真央ちゃんもたくさん試合で海外にいけるといいねという話をしたよね。真央ちゃんは小さい頃、本番で緊張したり、怖がるタイプだったでしょ?

浅田 本番に弱かったですね。どちらかというと(姉の)舞の方が強かったと思います。私は試合でよく失敗もしていました。でも、舞より練習しているという自負があったから、同じ試合に出て負けると悔しかったですし、それが私の負けず嫌いのスタートというか原点になったと思います。

伊藤 その経験が努力し続けることにつながっていったんだね。その後、めきめき力を付けていって。真央ちゃんがトリプルアクセルを跳んだ'05年世界ジュニア選手権を現地で、シニア初参戦で優勝したGPファイナルもテレビの解説をしていたので現地で見ることができたの。真央ちゃんの節目となる大会にはだいたい立ち会えているんだよね。

 練習の3分の2はコンパルソリー。

浅田 私がノービスからジュニアに上がったときも会場にいらしてくださいましたよね。現役時代の演技を生で見たことはありませんが、よく映像を見て勉強させてもらっていましたし、みどりさんは私にとって永遠のスター。だから、みどりさんの衣装を着たときは本当にうれしかった。小学6年生のときにクスコの曲で初めて着て、'05年の世界ジュニア選手権では優勝することもできました。そこからトントン拍子で結果が出せたのは、絶対にみどりさんのパワーが衣装に入っていたからだと思います。

伊藤 トリプルアクセルも継承してくれたよね。私はあまり努力しないタイプだったけど(笑)、きっと真央ちゃんはすごく努力していたんだろうなあ。

浅田 そんなことないですよ。だって、昔はコンパルソリー(※男子シングルと女子シングルで1990年まで行われていた種目の1つ。「規定」とも呼ばれ、氷上を滑走して課題の図形を描き、滑走姿勢と滑った跡の図形の正確さを競った)がありましたよね。だから当時の方が想像以上に練習していたんじゃないかなって思います。私も挑戦したことがあるのですが、今の選手でできる人っているのかなと疑問に感じるくらい、とても高度な技術が必要とされますよね。

伊藤 私はコンパルソリーが苦手だったから苦労しましたね。

浅田 どれくらい練習していたんですか?

伊藤 練習の3分の2はコンパルソリーに時間を費やしていたかな。

浅田 すごい……。

伊藤 しかも課題は毎年変わるし、どの課題になるかは大会毎に違うからね。どんなに苦手でも、そこは努力しないと身にならなかったから練習するしかなかった。

 真央ちゃんも昌磨もみんな真面目。

浅田 小学生時代のみどりさんの映像を見たことがあるんですけど、ジャンプはもちろん、当時からスケーティングやスピンの速さはずば抜けていました。今のノービスの選手と比較してもまったく遜色ないです。一体どんな練習をされていたんですか。

伊藤 とにかく学校の時間以外はリンクにいましたね。山田先生からは、「踊れないぶん、スピード感で勝負だよ」とよく言われていたので、リンクの上にいることで感覚を養おうと、氷の上にいる時間をできるだけ長くしていました。

浅田 朝から晩までそれだけの練習を積み重ねてきたからこそ、愛知県出身の恩田美栄さんや中野友加里さんが継承して、その後、私たちが受け継ぐことができたのかなって思います。

伊藤 真央ちゃんも、(宇野)昌磨も、みんな本当に真面目だよね。思い出すのは真央ちゃんがグランプリ東海に来ることが決まったとき、山田先生が相当喜んでいたこと。「真央ちゃんはあなたと違ってかわいくて、なんでもできるんだから」って。先生は私のようなタイプのスケーターしか教えられないと言われるのが嫌だったから、真央ちゃんが来てくれて本当に嬉しかったんです。

 真似できないトリプルアクセル。

浅田 みどりさんは女子で史上初めてトリプルアクセルを成功させましたが、誰かのジャンプを参考にされたんですか。

伊藤 私が挑戦していた頃は、男子の世界トップ5がみんなトリプルアクセルを跳んでいたんです。アメリカのブライアン・ボイタノや、今、羽生(結弦)くんを指導するブライアン・オーサーのトリプルアクセルの映像は、ビデオが擦り切れるほど、何度も繰り返し見て勉強した記憶がありますね。でも、'88年のカルガリー五輪で5位に入賞したことで、一緒に世界ツアーをまわれることになって、彼らのジャンプを生で見ることで、より吸収力が増しました。

浅田 みどりさんのトリプルアクセルのスピード感やジャンプの高さは、誰にも真似できないですよ。すごい。

伊藤 当時、欧米の選手ばかりの中では、突き抜けた個性がないと日本人が認められることは難しかった。私の場合、日本よりも先に世界で個性が認知された“逆輸入”だったと思います。トリプルアクセルを跳んでいない時代は、5種類のトリプルジャンプを跳んでいても、2種類しか跳んでいないカタリナ・ビットが優勝したり。ふざけんなよって思ったことも正直ありました(笑)。でも、カルガリー五輪が終わって、クリスティ・ヤマグチら新しい世代が台頭してきたと同時に、どの選手も一気にトリプルルッツまで跳ぶようになりましたね。

 アルベールビルでの演技に感動。

浅田 フィギュアスケートはスポーツである以上、難しいジャンプを跳ばなければ勝てないのが普通だと私は思うんです。ただ、高難度のジャンプを成功させて勝てることもあれば、勝てないときもあって。時代によってルールも変わりますし、採点基準もいろいろとあるので、少し不安定なスポーツではありますよね。

伊藤 でも、調子が悪いときや自信がないときは、私はトリプルアクセルにこだわり続けず、跳ぶことをやめていたの。跳べる自信があるタイミングでしか試合では跳ばなかった。銀メダルだったアルベールビル五輪も本来ならオリジナル・プログラムでも跳んだ方が良かったんだけど、成功する確率が低くて、自信がないから跳ばなかった。フリーでも1本目は失敗しているしね。

浅田 あのフリーの演技はすごく感動しました。トリプルアクセルを決めたのは演技後半ですよ。足に疲労が溜まっている状態なのに、そこでパワーが必要なジャンプを跳ぶなんて想像できない。どのあたりから跳ぼうと決めていたんですか?

伊藤 跳ぼうと決めたのは、1つ前のトリプルループ、スピンあたりかな。でも、2回目のトリプルアクセル直前のスピンはゆっくりとまわって、次のアクセルのために力を溜めていたんです。

浅田 それでもスピン直後にトリプルアクセルを跳ぶなんて、私には絶対に無理。毎日練習していても、冒頭に跳ぶ場合とは平衡感覚も違いますからね。考えられない……。でも、実は私、アルベールビルのみどりさんのフリーの演技を真似したんですよ。小学6年生のときに試合で冒頭のジャンプに失敗したときに、「そういえば、みどりさんももう1回チャレンジしたな」と思い出して2度目に挑戦したんです。結果は失敗でしたけど(笑)。

 印象に残っているソチのフリー。

伊藤 挑戦したのは「五輪」という舞台だったからかもしれない。印象に残っているのは1989年に神戸で開催されたNHK杯フリーの『シェヘラザード』。このときは2本目にトリプルアクセルを跳びました。トリプルアクセルの認知度が低かった当時、演技終了後に、選手席に座っていた人たちはオールスタンディングで拍手してくれたけど、お客さんは普通に拍手でした。


https://youtu.be/786iaNxX968?t=73  (3A 01:13~01:18)

浅田 今日帰ったら早速見てみます。

伊藤 真央ちゃんのトリプルアクセルは年々力強くなっていったよね。真央ちゃんが印象に残っている自分の演技は?

浅田 ソチ五輪の後の世界選手権……いや、ソチのフリーですね。私にとってトリプルアクセルは自分の気持ちを強く持たせてくれるものでした。それがなければ、きっと不安になっていたと思います。みどりさんもおっしゃっていましたけど、突き抜けるためには誰も跳んでいないトリプルアクセルをやらなければ勝てないと考えていたんです。キム・ヨナ(韓国)とは小さい頃から常に競っていましたが、ヨナができないトリプルアクセルという武器が自分の中では大きな強みでしたし、それがあるから勝てると思っていましたね。それがなかったら絶対に勝てていませんでした。

伊藤 そうかなあ。

浅田 トリプルアクセルが跳べたら、誰からも私の方が1つ上の技術をやっていると認めてもらえると考えていたので。だからこそやり続けていたんです。なにより、挑戦しなかったら後悔してしまうから。自分が決めたなら、成功しても失敗しても後悔しないけれど、先生に「やらなくていい」と言われて跳ばずに負けたときは、絶対に自分が後悔すると考えていました。

 紀平選手にも継承されている。

伊藤 私がトリプルアクセルの元祖なら、真央ちゃんはトリプルアクセルを含む6種類、計8度の3回転ジャンプを跳んで、さらに今は紀平梨花選手がトリプルアクセルの後に3回転(トリプルトウループ)を付けるコンビネーションをフリーのプログラム構成に組み込んできている。トリプルアクセルも時代とともに進化を遂げているし、継承もされている印象がありますね。

浅田 私はみどりさんの後を受け継いだという気持ちでやってきて、跳べるときも跳べないときも諦めずに続けてきました。今、ジュニアも含めて、いろいろな選手がトリプルアクセルに挑戦している姿を見ると、私もしっかりと次の世代へとバトンを渡せたのかなと感じます。

伊藤 真央ちゃんが私をリスペクトしてくれていたように、今度は紀平選手たちの世代が、「真央ちゃんのようなアクセルを跳びたい」、「真央ちゃんに近づきたい」と目標や憧れを持って挑戦しているんだよね。

 自分自身と葛藤する中で。

浅田 私は2014年ソチ五輪後に1年間休養をとって復帰しましたが、みどりさんも引退して3年後に復帰されましたよね。

伊藤 引退したときはもう絶対にやりたくないと思っていたんだけど、滑れるうちは……とプリンスのショーには出演していたんです。他のスポーツは引退すると、人前で戦ったり、演技を披露する機会がなくなるでしょ。でもフィギュアスケートは引退しても「滑る」仕事、世界がある。その礎を大きくしていくことが自分の役目の1つだと思って実際に滑っていたんだけど、しばらくするとやっぱり良い演技をしたいって思うようになるんです。そしてショーを続けながら現役復帰を決断して、'98年長野五輪の2シーズン前に復帰。ただ、日本国内では勝てたけれど、世界はアメリカのミシェル・クワンたちの時代に突入し、若い世代の勢いや世界は変わっているんだということをあらためて痛感しました。

浅田 私も復帰してみると、「もう自分の時代じゃない」と感じました。ただ、平昌五輪までやると宣言していたので、自分自身と葛藤していました。有言実行で生きてきたスケート人生なのに、成し遂げずに引退するのはどうなんだろうって。

 純粋にスケートを楽しんでいます。

伊藤 今はショーで滑っているけど、何か違いはある?

浅田 選手時代はルールがあって、スケートを楽しんだり、何かを表現するというよりも、スポーツの限界に挑戦し続けるという感じでした。フィギュアはスポーツだと強く意識していましたから。周りからのプレッシャーもあって、16、17歳頃から純粋に楽しむことはできなくなっていましたね。今になってようやく子どもの頃のように、純粋にスケートを楽しむことができるようになってきたのかなとも思います。もちろん、ショーも緊張しますし、状態を維持するのはすごく大変なことですけど。

伊藤 真央ちゃんは、佐藤信夫先生の指導を受けて習得した技や基礎からやり直したことが、'16-'17シーズンの『リチュアルダンス』頃から一気にプログラムに現れるようになりましたよね。だから、真央ちゃんはこの先、もっともっとうまくなるよ。

浅田 えっ、そうなのかな(笑)。みどりさんも2018年はいろいろなショーに出演されていましたよね。

伊藤 めずらしいところだと、ゲーム・アニメの『艦隊これくしょん─艦これ─』のアイスショー、『「艦これ」鎮守府“氷”祭りin幕張特設泊地─氷上の観艦式─』にも出演しました。

 ぜひまた一緒に滑りたいですね。

浅田 見られなかったんですよー。残念。

伊藤 悪役の深海氷翔王女役でね。一般的なアイスショーとは少し違って楽しかったですね。観衆も男性が多くて低い声の歓声があがるの(笑)。新境地を開拓した感じでした。真央ちゃんは今もツアー中でしょ。

浅田 そうなんです。ツアー(※全国をまわるアイスショー「サンクスツアー」は、応援してくれたファンへの感謝の気持ちを込め、浅田さんがこれまで滑ってきたプログラムをメドレーでキャストのスケーターとともに披露。'19年は2月の宮城公演からスタートする)を最後まで滑り切ることをまずは2019年の目標にしています。

伊藤 私も滑れるところまでは、楽しく滑り続けたいな。

浅田 今年6月に出場した国際アダルト選手権にもまた出場されるんですか。

伊藤 78歳まで出られるらしいですからね。海外では50~60歳くらいのふっくらした体型の方々がショッキングピンクの衣装に身を包んで優雅に滑ってらっしゃる。そういう姿を見ていると、スケートに対する視野や世界が広がりますよね。

浅田 真央杯(※'18年6月23、24日に、第1回浅田真央杯が埼玉アイスアリーナで開催された。浅田さんはエキシビションで演技を披露し、さらに審査員としても参加。テーマ「未来」を表現する各選手の自由な演技のなかから「真央賞」を選出した)に参加された大人の方は本当に自由にスケートを楽しんでいらっしゃるんですよ。好きなことに没頭できている方はすごく素敵。みなさん、いきいきとされていて、いつもたくさんパワーをいただいているんです。みどりさんともぜひまた一緒に滑りたいですね。

(Number968・969号『浅田真央 伊藤みどり トリプルアクセルのバトンを次に。』より)

Number(ナンバー)968・969号「スポーツブーム平成史 熱狂を超えろ。」 (Sports Graphic Number(スポーツ・グラフィック ナンバー))
Sports Graphic Number 968・969
<スポーツブーム平成史>熱狂を超えろ。

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写真:榎本麻美

この対談はめちゃくちゃ豪華ですよね!天才スケーターが対談するなんて太っ腹対談ですよ。

真央さんは本番に弱かったので、練習の虫という人になったのですね。匡子さんが真央さんの事を「不器用だから予め決めた事をしっかり練習する努力の天才なんです」とおっしゃっていました。

みどりさんはコンパルソリーが苦手とおっしゃいますが、新書館から出ている「フィギュアスケート 美のテクニック」にコンパルソリーでスケーティングの基礎ができているので、3Aを跳ぶことができたと書かれていました。

フィギュアスケート 美のテクニック
フィギュアスケート 美のテクニック 単行本(ソフトカバー) – 2011/4/29
野口 美惠 (著), 樋口 豊 (監修), 太田 由希奈 (その他)

みどりさんが3Aを跳ぶために、当時の男子の世界トップの選手のビデオをテープが擦り切れるまで、何度も繰り返し見て勉強していたんですね。みどりさんは女子ではなく、男子と戦っていたんだと思いますね。

やはりみどりさんもカタリナ・ヴィットが2種類の3回転ジャンプしか跳んでないのに優勝していた事に対しては、内心腹が立っていたのですね。自分の血のにじむような努力は一体何なんだー!思いたくなりますよね。

カタリナ・ヴィットは五輪2連覇後にプロに転向して女優になってハリウッドで端役でトム・クルーズ主演の映画に出たり、プレイボーイでヌードになったりしました。しかし、あんまり美人だなあ、きれいだなあとは思いません。バンクーバー五輪からソチ五輪にかけての頃、女優顔負けのフィギュアスケート選手がゴロゴロいましたよね。

1989年の神戸でのNHK杯のフリーの演技で3Aを成功させても、演技終了後にスタオベがなかったのは、当時はまだ3Aの難しさを観客が分かっていなかったからなのでしょうかね。真央さんが出て来る前のフィギュアスケートは超マイナースポーツで、NHK杯のチケットはチケットぴあで簡単に手に入りました。スケオタの人数はこの15年で真央さんのおかげで激増したと思います。

真央さんが3Aにこだわったのはヨン棒の事を意識していたからなのですね。真央さんはヨン棒の名前はなるたけ出さなかったし、ファンも真央さんから┃┃の名前を出してはもらいたくなかったので良かったのですが。真央さんが努力に努力を重ねても、審判にはそれが届かなかったのですね。テクニカルパネルに3Aを跳ぶことが出来なかった元選手の敵の手先のおっさんがいましたからね。

山田満知子先生が真央さんの事を「エンジェルのように愛らしい外観とは裏腹にとっても頑固」と評していらっしゃいました。真央さんは一度決めた事は、失敗したってやらずに後悔するよりも果敢に挑戦する方が良いというファイターだったので、皆から愛されるスケーターになったのです。

サンクスツアーで真央さんが楽しんで滑っているのを見られるだけでファンは幸せです。そして、コンディションを維持して頑張ってくれているのに感謝の気持ちでいっぱいです。

今週青森(八戸)公演に行くのでドキドキしているこぱんだです。もうすぐ真央さんに会えるのですごく嬉しいです!ヾ(*≧∀≦)ノ゙ 嬉スィ~☆

【追 記】
まゆげの時間
美眉アドバイザー玉村麻衣子さんのブログ
「両津勘吉の眉」を分析してみた
公開日時:2019-05-09 19:36:55
https://ameblo.jp/maiko-tamamura/entry-12459625716.html


両さんの眉と言えば、目のフレームに沿ってアーチを描く独特な形。

これは観相学では「地蔵眉」と呼ばれ、
愛情深く心が優しい人に多い眉型
です。

有名人で言うならばフィギュアスケートの
浅田真央さんがこの眉
にあたります。

この眉型をしている人は、家族や友人に優しく
深い愛情に富んでいる傾向
に。


なんやかんや言っても最終的には人助けをする両さんは愛情深く、それ故に多少素行が悪くても憎めない、そんな不思議な魅力があるのです。
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コメント
この記事へのコメント
真央の3Aは全て、回転不足でした。認定されていたのは、全て、回転不足が見逃されたからです。
2019/06/02(日) 20:44 | URL | スヌーピーマニア #aMuv07jE[ 編集]
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