ロシア人・朝鮮人に「性奴隷」にされた日本人女性の悲劇②

歴史通 2017年4月号  総力特集 こんな許せない歴史があった「シベリア・満州の悲劇」
ロシア人・朝鮮人に「性奴隷」にされた日本人女性の悲劇


暴力で身を傷つけられた婦女子

 父親もわからぬ青い目をした異国の赤ん坊を育てることもできず、上陸寸前に博多港に身投げした女性もいたという。そこで不運な女性の自殺を防ぐため、引き揚げ船に医師も同乗し、傷を負った女性たちに、"上陸したら二日市で手術できますから心配しなさんな"と声をかけてまわっていたのだ。この行為は当時、堕胎(だたい)が禁じられていた日本で、超法規的措置として秘密裏に引揚女性の堕胎が認められたという。とはいえ、終戦直後の物資不足で麻酔すらない状態での手術だった。

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 この悲劇を裏付けるため、引き揚げ船内で配られた一枚の呼びかけ文を紹介する。

 「不幸なるご婦人方へ至急御注意!! 皆さんここまで御引揚になれば、この船は懐かしき母国の船でありますから先づご安心下さい。さて、今日まで数々の厭な想い出も御ありでせうが茲(ここ)で一度顧みられて、万一これまでに『生きんが為に』『故国へ還らんが為に』心ならずも不法な暴力と脅迫に依り身を傷つけられたり、またはその為身体に異常を感じつつある方には再生の祖国日本上陸の後、速やかにその憂鬱に終止符を打ち、希望の出を建てられる為に乗船の船医へこれまでの経緯を内密に忌憚なく打ち開けられて相談してください。
本会はかかる不幸なる方々のために船医を乗船させ、上陸後は知己にも故郷へも知れないやうに博多の近く二日市の武蔵温泉に設備した診療所へ収容し健全なる身體(しんたい)として故郷へご送還するやうにしておりますから、臆せず、惧(おそ)れず、ご心配なくただちに船医の許(もと)まで御申し出ください。 財団法人 在外同胞援護 救療部派遣船医」

 千田夏光(せんだ かこう)氏が書いた『皇后の股肱(ここう)』の中に"二日市・堕胎医病院"という章があり、当時の様子がよく描写されている。妊娠六カ月、七カ月の中絶手術は母体へのダメージも大きく、手術後命を落とした女性もいた。中には泣き声をあげる胎児もいて、その声を聞くと母性が目覚めかねないので医師の手で胎児の息をひきとらせている。昭和二十三年に閉鎖されるまで約九百名もの女性が門をくぐり、手術を受けた女性は四百六十二名、うち十名が命を落としているというのだ。

 二日市保養所跡に慰霊碑を児島敬三氏が建立したきっかけも、上述した千田夏光氏のルポを読んで衝撃を受けたからだという。貴重なルポルタージュだと思うが、南京については東京裁判史観そのもので、臼井勝美電気通信大学教授の『日中戦争』などを孫引きしながら『日本軍の通過した後に処女なしと言われる』などといった針小棒大な証言をサラリと織り込んでいるところに千田氏の視点が伺える。又、従軍慰安婦に関して千田氏は麻生徹男軍医を慰安所発案の責任者であるとほのめかすように描いている。その件に関して私は麻生軍医の娘である天児郁氏に福岡で取材し、千田氏が天児氏に謝罪した話や彼女に宛てた手紙なども見せてもらったことがある。彼女は「千田氏の不正確な執筆や検証もない孫引きによって書かれた本がジョージ・ヒックスなどによって引用され、さらにクマラスワミ報告に採用され、国際社会に慰安婦問題が歪んだかたちで広まってしまった」と怒りを隠さなかった。

 ともあれ二日市保養所について調べてゆくうち、意外なことに気付かされた。保養所に駆け込んだ女性達への加害者の大半はソ連兵だと思っていたのだが、なんと朝鮮人の方が多かったのだという。

 「二日市保養所の医務主任だった橋爪将の報告書によると、施設の開設から二カ月間で強姦被害者の加害男性の国籍内訳は、朝鮮二十八人、ソ連八人、支那六人、米国三人、台湾・フィリピンが各一人だった。一九四七年の施設閉鎖までに五百件の堕胎手術をおこなった』(「戦後五十年引き揚げを思う』)

 また終戦直後、朝鮮北部の興南にいた鎌田正二氏はこんな証言をしている。

 「ソ連兵や朝鮮保安隊の掠奪(りゃくだつ)と横暴は、残酷をきわめた。夜なかに雨戸を蹴やぶって侵入してきたソ連兵は、十七になる娘を父親からひったくるように連行。娘は明け方になり無残な姿で、涙もかれはてて幽鬼(ゆうき)のごとく帰ってきたという。みなソ連兵を朝鮮人が案内したのだった」(『潮}一九七一年八月号)

 日本が敗戦国となったと同時に、一部の朝鮮人は手のひらを返すように残忍な加害者として日本人に危害を加えたのだ。余談になるが"慰安婦強制連行"について朝日新聞ですら虚偽と認めた吉田清治氏は福岡県出身で、戦後は山口県下関の門司港(北九州市門司区では?)を拠点に活動していた。吉田氏は労務報国会で朝鮮人狩りをしていたのではなく、日雇い労務者の仕事の振り分けをしていたのに過ぎない。引揚船の割合は福岡の博多港と長崎の佐世保が最多で、門司港は使用されず近くの仙崎港が使用されていたが、いずれにせよ北九州に押し寄せてきた引揚者の悲劇は吉田氏も聞き知っていた筈だ。にも関わらず"私が朝鮮人女性を強制連行して慰安婦にした"などという創作話を、一体どんな心境で吹聴(ふいちょう)していたのだろう。

 日韓合意後、韓国人慰安婦の中には日本からの見舞金を二重取りした女性もいる。アジア女性基金から約五百万円、和解金約一千万、合計一千五百万もの大金だ。方や近現代史家・秦郁彦氏の推計によると従軍慰安婦の約四割をしめていた日本人慰安婦には何の補償もされていない。ちなみに朝鮮人慰安婦は約二割。つまり慰安婦問題の本質とは、女性の人権問題ではなく、外交問題に発展させて"戦後補償産業"の恩恵に預かろうとした活動家たちが、吉田清治や韓国人慰安婦などを利用したということにつきるのではなかろうか? こうした倒錯した歴史の捏造(ねつぞう)の罪深さの陰で、日本人婦女子の受難は封印されてきたのだ。

【天児都】軍医の父を誰が慰安婦強制連行責任者に仕立て上げたのか?[桜H26/6/16]

https://youtu.be/ahIU5D8Vtlk
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