ロシア人・朝鮮人に「性奴隷」にされた日本人女性の悲劇①

歴史通 2017年4月号  総力特集 こんな許せない歴史があった「シベリア・満州の悲劇」
ロシア人・朝鮮人に「性奴隷」にされた日本人女性の悲劇
大高未貴 ジャーナリスト


「北鮮ニ侵入セル『ソ』兵ハ白昼街道ニテ通行中ノ婦女ヲ犯ス」(高松宮日記)

封印された日本婦女子の悲劇

 数年前、私は埼玉県大宮市の墓地「青葉園」に立つ青葉地蔵尊で行われた供養(くよう)に参加した。拙著『強欲チャンプル 沖縄集団自決の真実』に詳しいが、集団自決の真相について取材を進める中、戦時中、渡嘉敷島に赴任していた皆本義博元中尉から「沖縄の集団自決は決して軍命令ではなく、人間の尊厳(そんげん)を守るため、ある意味自発的なものでした。あの不幸な時代、集団自決は沖縄だけの現象ではなく、ソ連軍の侵略をうけた満州や朝鮮半島、そして樺太でも起こったものなのです。来週、満州で自決という非業(ひごう)の死を遂げた従軍看護婦二十二人の供養(くよう)があるから取材に来ませんか?」とお声掛けいただいたのがきっかけだった。
 
 恥ずかしながら、皆本氏からそのことを聞くまでソ連軍の蛮行とはいえばせいぜいシベリア抑留程度だったので、あらためて青葉地蔵尊の由来を調べながら震え上がった。

 「昭和二十一年六月二十日の満州・新京(長春)。旧ソ連軍に留め置かれ、長春第八病院で働いていた松岡喜身子さん(七七)ら二十数人の従軍看護婦は、絶望のどん底にいた。

 その夜、ソ連軍の要請で軍の救護所へ仲間六人と"応援"に行っていた大島はなえ看護婦(二二)が、十一発もの銃創を受けながら一人逃げ帰り、救護所の実態を伝えて息を引き取った。「日本人看護婦の仕事はソ連将校の慰安婦。もう人を送ってはいけません」

 大島さんの血みどろの姿に、喜身子さんはぼうぜんとし、涙も出なかった。「ロシア人は日本人を人間すら扱わないのか・・・・・・」。だが、悪夢はその翌朝も待っていた。二十一日月曜日午前九時すぎ、病院の門をくぐった喜身子さんは、病院の人事課長、張宇孝さんに日本語でしかられた。「患者は来ているのに、看護婦は一人も来ない。婦長のしつけが悪い」

 そんなはずはありません。見てきます」胸騒ぎがして、看護婦の大部屋がある三階に駆け上がった。ドアをノックしても返事はない。中へ飛び込むと、たたきには靴がきちんとそろえてあった。線香が霧のように漂う暗い部屋に、二十二人の看護婦が二列に並んで横たわっていた。(略)死んでる・・・・・・」。満州赤十字の看護婦は終戦時、軍医から致死量の青酸カリをもらい、制帽のリボン裏に隠し持っていた。机上には、二十二人連盟の遺書が残されていた。〈私たちは敗れたりとはいえ、かつての敵国人に犯されるよりは死を選びます〉」(産経新聞 平成七年六月二十九日)

 悲劇は朝鮮半島にも及んだ。『高松宮日記』にもこう書かれている。

 「北鮮ニ進入セル『ソ』兵ハ白昼街道ニテ通行中ノ婦女ヲ犯ス。汽車ノ通ラヌタメ歩イテ来ル途中、一日数度強姦セラル。二人ノ娘ヲ伴フ老婦人ハカクシテ上娘ハ妊娠、下ノ娘ハ性病ニ罹(かか)ル。元山カ清津ニテハ慰安婦ヲ提供ヲ強ヒラレ人数不足セルヲ籤引(くじびき)ニテ決メタリ、日本婦人ノ全部ハ強姦セラル。強要セラレ自殺セルモノ少カラズ」(『高松宮日記 第八巻 昭和二十年十月二十三日』中央公論社)

 こうして満州、朝鮮半島から心身ともに傷を負った日本人女性が駆け込んだ先の一つが福岡の二日市保養所だった。いまは当時の悲劇を鎮魂(ちんこん)するための水子(みずこ)供養地蔵を中心とした二日市保養所跡があり、跡地建立趣旨にはこうある。

 「昭和二十一・二年の頃、博多港には毎日のように満州からの引揚船が入っていた。其の中に不幸にしてソ連兵に犯されて妊娠している婦女子の多い事を知った旧京城帝国大学医学部関係の医師達は、これら女性を此処―旧陸軍病院二日市保養所―に連れてきて善処した。(略)児島敬三」
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