ソウル大学教授が「慰安婦性奴隷説」を全否定⑥

絶絶望の韓国、悲劇の朴槿恵(月刊Hanadaセレクション)
「ソウル大学教授が「慰安婦性奴隷説」を全否定」


吉見義明の本は根拠不十分

 議論の締めくくりに李教授は、「このような状態の慰安所の女性たちをどのように規定すればよいのか」と問題提起し、次のように語る。この部分は重要なので逐語訳を行った。

〈大変難しく、論争的で、政治的な問題です。日本のこの問題に最も知られている研究者である吉見義明という人は性奴隷だと言いました。韓国の多くの学者たちも性奴隷説に従っています。私も『大韓民国の物語』という本で二〇〇七年に性奴隷だとする、吉見義明という人の論文や本を読んでそうだなと思い、性奴隷説を支持したことがあります。

 彼女たちは移動の自由がなく監禁されていた、日常的な殴打、暴力の下にいた、ほとんど報酬を受けることができなかった、これが奴隷の根拠になります。吉見義明氏が性奴隷説を主張するときにもっとも重視したのが移動、身体の自由がなかった、思うままに行き来ができなかったとして、いくつかの事例を話しました。

 しかし、私がいろいろな資料を検討してみた結果、[慰安婦に関する・西岡補]そのような程度の身体的な拘束は公娼制度下では日常的にあるものではなかったのか。

 先ほど私が申し上げたように、娼妓たちは貸座敷の外に出て生活することができない、その地域を離脱することはできないとされている、その程度の、ある職業による特殊な制約を超えるものだっただろうかとうい疑問を持ちます。

 文玉珠(ムンオクジュ)氏の手記を読んでも月に二回、私が紹介した慰安所管理人の日記でも月に二回は休日です。休日は自由に外出をしました。文玉珠氏は、私はいまでも目をつぶってもラングーン市内の路地裏を思い出す程度だと言いました。異国の都市で多様なショッピングを楽しみもした。勤務中には離脱は不可能だったが、休日はあったということです。

 契約期間満了の前には自由に離脱することはできなかった。この程度の人身的拘束だった。そして契約期間が満了したり、一定の条件が整えば、廃業申告をすると多くの人たちが受け入れられたという状況でした。

 吉見氏はこれらを知らなかったようです。今回、再度吉見氏の本を見たのですが、根拠がとても断片的で不十分です。そのような意味で、私は人身の監禁による性奴隷説は根拠が大変不十分だ、と申し上げたいのです。

性奴隷説の再検討を

 〈次に報酬を受けられなかったということですが、これは公娼制の基本趣旨と合致していません。

 軍の士気と関連する問題であるので、慰安所内で私的暴力が使われることを軍が許すことができませんでした。戦争という状況のなかで、私的暴力が容易に容認される雰囲気ではない、ということを私は申し上げたい。慰安所日記のどこを見ても私的暴力の行使はない。文玉珠氏の自叙伝でも、雇い主に殴られたとか前借り金のためにいじめられたとかという話はありません。

 極度の高労働、高収益産業だったので、二百円、三百円、千円程度の前貸し金は、人身を拘束する(くびき)にはなりがたかった。容易に返すことができた。先ほどの日記の送金の記録でも、ある人は一万二千円をも実家に送金し、文玉珠氏は五千円を実家に送金して二万五千円を軍事貯金で持っていた。

 このような高労働高収益産業で、債務奴隷的な状況は発生しなかった。もちろん、個人によってはそのような状況があったかもしれないが、一般化することはできない。

 それから、私はある意味では奴隷専門家です。朝鮮の奴婢について研究したからです。奴隷に関する本もたくさん読みました。奴隷の本質は何かといえば、法能力の欠如です。法的人格の否定、人間ではないのです。殴られても訴えるところもないし、父親や母親が殴り殺されても告訴する能力もない。

 現場を目撃しても法廷で証言することができなかった。人間ではないからです。あの白人が犯罪を犯すところを見たと言っても、その証言が法廷で採択されることはありませんでした。このように、奴隷とは法能力が欠如した状態、法能力を認定する社会的な人格が否定されている状態、それを奴隷というのです。

 慰安婦たちをそのように言うのは難しい。置かれた立場が大変弱かったことはたしかだが、法能力が剥奪された無権利状態だったとは言えません。

 たとえば文玉珠氏の場合は、私は今回読んで驚きましたが、慰安所にきた日本人兵士が乱暴を働いた。酷い人で、日本刀を抜いて脅したので立ち向かった。文玉珠氏凄い人物です。立ち向かってその日本刀を奪い、逆に兵士を刺した。胸に刺さり兵士は死んでしまった。そうしたら軍属裁判が開かれました。

 私は軍属だと主張したので、軍属の資格で裁判が開かれた。文玉珠氏は、あの人が最初に乱暴してきた、慰安所に来て日本刀を振り回すことは良いことなのか、私は正当防衛だと主張したので無罪になった。

 私が言いたいのは、本当の意味の奴隷であれば裁判を受ける権利もないのです。ところが裁判を受けて正当防衛が認められ、軍法会議で無罪の判決が下された。ですから、私は性奴隷説についていろいろな点でもう一回、再検討しなければならない。

 奴隷という言葉は大変誤解を受けやすい。だから私は、朝鮮時代の奴婢について米国の学者たちが奴隷という言葉を使うことに対して相当な留保をしなければならないと主張している。

 性奴隷とはとても扇情的な表現ですが、厳格な意味で、学術的な要件を備えているかということについて私は懐疑的です。
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