ソウル大学教授が「慰安婦性奴隷説」を全否定⑤

絶絶望の韓国、悲劇の朴槿恵(月刊Hanadaセレクション)
「ソウル大学教授が「慰安婦性奴隷説」を全否定」


ある慰安婦管理人の日記

 次に在支半島人名簿一九四二」という名士の人名録に、朝鮮人慰安所経営者の名前が堂々と出ていることを指摘する。特に、朝日館という慰安所では朝鮮人の経営者だけでなく、九人の慰安婦の名前と本籍までが人名録に載せられていることを、写真を見せながら紹介する。

 そして李教授は、その時代的感覚では慰安所経営や慰安婦として働いていることは恥ずかしいものではなかった、だから人名録に名前を出せた、と説明する。

 日本軍慰安婦に関する最後の議論として、李教授は慰安所での生活を論じる。その点に関する資料が少なかったが、ビルマとシンガポールの慰安所の帳場で勤務した朝鮮人男性の日記が二〇一三年、発見された。李教授は、何人かの研究者らとその日記を詳しく分析した。日記は『日本軍慰安所管理人の日記』という題で韓国で出版され、その内容を李教授は詳しく説明している。

 一九四三年かあ四四年にかけての日記に、慰安所管理人としての生活が記載されていた。日記の筆者は一九〇五年生まれで代筆屋としてかなりの金を稼ぎ、妾に旅館で売春業をさせていた。

 ところが一九四〇年に入り、代筆業がうまくいかなくなったうえ、ある朝鮮人人身売買業者に四千円を貸して逃げれてしまい、経済的に困難になって、四二年七月に慰安所を経営することとうい妾の息子とともにビルマに行った。残念ながら、慰安婦募集を行った四二年の日記は紛失している。彼は慰安所の帳場で勤め、中間管理職だった。日記を読み込むと、次のようなことが明らかになった。

慰安所は軍管理の公娼制度

 慰安所は、実際は軍が管理していた。月末には慰安婦別の報告書を軍に提出しなければならなかった。そのため、慰安婦別の売り上げ帳簿をつけていた。利用規約と料金も軍が決めていた。軍が事実上直営する厳格な公営だった。

 朝鮮で施行されていた公娼制度が、その姿のまま軍部隊のなかやその近くにそのまま移転している状況である。廃業するときに許可証を持って軍部隊に行き、廃業申告をすると廃業許可が下りた。

 軍の管理について倫理的非難もありうりが、一方で衛生管理が徹底し、慰安婦が暴力・略奪から守られるという面もあった。彼の勤めていた慰安所では二年間、暴力事件は一件もなかった。彼は慰安婦の依頼で、彼女らが稼いだ金を故郷に送金する仕事もしていた。横浜銀行のヤンゴンやシンガポールの支店でそれをした。彼女らは前貸し金を返還し、本家に送金できた。

 日記の筆者も、二年間で四万三千円稼いだ。当時の労働者の平均月給が四十円だから莫大な稼ぎだ。帰国後、筆者は果樹園を経営し、私立中学の理事もしていた。

 李教授はここで、慰安所は「軍部隊に移ってきた公娼制度」だったと主張する。

 「女性らを就業詐欺や詐欺や人身売買の形態で連れてきて、日本軍の強力な統制の下で事実上、公娼的な運営をした」

 「公娼制としての特質があって、女性たちを監禁、暴力するような状況は見られず、女性たちは法によって営業許可をもらわなければならず、父母の承諾書や印鑑証明、戸籍謄本などがなければならなかった。そのような書類が全部あった。

 それで営業許可をもらって、契約期間が満了になれば廃業申告をして帰った。一九四四年一年で筆者の勤めていた慰安所の朝鮮人慰安婦二十人の内、なんと十四人が帰った。帰ると代わりが来た。監禁がなかった証拠だ」

 先に見たとおり、李教授は二〇〇四年のテレビ討論会で、米軍慰安婦について言及したことなどから慰安婦公娼説を唱えたと言われて激しい非難に晒(さら)された経験を持つ。

 そのとき、李教授は慰安婦性奴隷説支持者だったから、発言が正しく伝わらずに起きた災難だった。しかし、今回は堂々と軍管理の公娼制度と断言した。その学者としての勇気に心から敬意を表したい。
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