ソウル大学教授が「慰安婦性奴隷説」を全否定③

絶絶望の韓国、悲劇の朴槿恵(月刊Hanadaセレクション)
「ソウル大学教授が「慰安婦性奴隷説」を全否定」


四割の家庭関係は破綻

 その次に、現存する江原道江陵(カンウォンド)原州権氏の一六七八年から一八八五年までの戸籍をもとにして、両班家の奴婢の夫婦関係に関する研究結果を紹介している。

 それによると、妻一人、夫一人という正常な家族百七組(五十八%)だが、妻一人、夫二人以上が十五組(八%)、妻一人で夫が誰だか分からずに子供と暮らすのが三十七組(二〇%)、夫一人で妻が不明で子供がいるのが二十五組(十四%)、つまり全体の四〇%は家族関係が破綻(はたん)している。

 李教授はこの背景に、「奴婢に対する両班の暴力的支配と貧困が生んだ奴婢の家族倫理生活の破綻がある」と論じ、「中産層に安定的に家族制度が定着するのも近代に入ってからだ。常民たちが娘を売って娼妓(しょうぎ)になったケースが多い。慶尚道(キョンサンド)の安東に娼妓書堂があり、平壌には妓生書堂があった。両班が多いところで常民が娘を多く売っていた」と論じる。

 そして、韓国政府に名乗り出た百七十人の日本軍慰安婦が連行された場所の表を示して、慶尚道が五七%を占めていることを指摘し、「釜山が近いからではなく、両班が多い地域で朝鮮時代に入ってから人身売買が多かったことの延長だ。両班が多い地域で、常民、奴婢に対する両班の暴力的支配と貧困が最も激しかった。その結果、奴婢の家族倫理が成立できず、娘を売ることが多くあった」と論じる。

 そして、日本統治時代に議論を進める。慰安婦制度ができる前に、朝鮮では親が娘を売ることが多くあったとして、著名な作家・李光洙(イ・グァンス)のエッセイ『売られていく娘たち』(一九三四年)の次の一節を紹介する。

 〈大邱(テグ)で三十九歳の父が十五歳の娘を百六十円で売ったのを娘の同窓生がら買い戻そうと身売り金(モムカプ)を集めるという。娘を売ることくらいは東洋の全地でそれほどめずらしいことではない。(中略)

 あるいは他人の娘と妻をだまして売ってしまうこと、あるいは自分の妻を売ってしまうこともある。(中略)売ってもうける奴もいる一方で、買ってもうける奴もいる。いわゆる芸妓、娼妓、酌婦(しゃくふ)、妾(めかけ)のようなものだ〉


初となる娼妓への規制

 それから当時、朝鮮で発行されていた「毎日新報」の一九三七年三月二十八日付の次の記事を取り上げた。〈カネに目がくらんだ父母、死ぬよりもいやだという娘を売ろうとして、娘は警察に泣きながら訴える。満州国圖們(ともん)にある遊郭を経営する申ハンボムから一千三百円を受取った父母がキーセンをしていた娘を売ろうとしたが、娘はキーセンはよいが「肉まで売る娼妓生活はできない」と警察にかけこんだ。警察は父母を召還して調査中だ〉

 ここで李教授は、朝鮮時代と日本統治時代の違いを次のように論じた。「十九世紀までは親が娘を売ることは珍しかった。身分制的抑圧のほうが強かった。産業化時代に入り、人身売買が頻発した。その法的根拠が公娼制だった

 李教授は日本軍慰安婦制度を議論する前提として、日本が朝鮮に持ち込んだ公娼制度を理解しなければならないと主張し、それについて以下のことく具体的に説明する。

 「一九一六年、総督府は貸座敷娼妓取り締まり規制を制定した。酌婦、芸妓は以前から規制があったが、娼妓への規制は初めてだった。これが、父母が娘を売る法的根拠となった。

 前貸し金を父母が受け取る。娘が同行を拒めば、遊郭主人が強制的に連行していった。朝鮮内の三十四ヵ所に遊郭を置いた。そして同規制は、次のように厳しく遊郭を規制した。

・客室の入り口に番号または符号を表示すること

・娼妓の意思に反して契約の変更または抱え主(置屋主人)を変えることを強要することはできない。

・みだりに娼妓の契約、廃業、通信、面接を妨害することはできない。

・貸座敷営業者は付録の様式により遊客名簿を調製して、使用前に警察署長の検印を受け遊客がいるときごとに記載すること。

・貸座敷営業者は娼妓ごとに貸借計算簿二冊を調製して、その一冊を娼妓に交付し、毎月三日までに前月分の貸借に関する計算を詳細に記載し、娼妓とともに捺印(なついん)すること。

・娼妓業をしようとする者は本籍、住所、氏名、妓名、生年月日、及び営業場所を記載し貸座敷営業者が連署した願書に次の書類を添付して自分で出頭し警察署長に提出し許可を得なければならない。
 (1)父、母、戸主の承諾書(2)承諾者の印鑑証明書(3)戸籍謄本(とうほん)(4)娼妓営業及び前貸し金に関する契約書(5)娼妓業をする事由書(6)指定医師の健康診断書。

・貸座敷内でなければ娼妓業をすることはできない。

・娼妓は警察署長の許可した場合を除いては指定された地域の外にでかけることはできない。

・娼妓は定期または臨時に健康診断を受けなければならない。

・娼妓許可を受け最初に営業するときは先に警察署長に申告しなければならない。

・娼妓を廃業するときは直接、許可証を添付して警察署長に申告しなければならない。

・貸座敷営業者は娼妓を外から見える場所で化粧をさせたり店頭で列を作ったり徘徊させることはできない。
 遊客名簿の作成が義務付けられた。それには、到着月日時、出発月日時、人相又は着衣の特徴、招聘(しょうへい)せし娼妓の妓名、遊興費、住所、職業、氏名、年齢を記載する。


 性病の検診も厳格に実施された。朝鮮人娼妓は年四十五回、日本人娼妓は五十四回実施した。その結果、性病発病率は朝鮮人娼妓六%、日本人娼妓は三・八%だった。」
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