慰安婦問題を作った男の肖像⑥

新潮45 2016年 09 月号
「吉田清治」長男、衝撃の告白  「慰安婦像をクレーン車で撤去したい」 慰安婦問題を作った男の肖像

 「電話対応の仕方とか、待ち合わせ場所の選び方とかいろいろ厳しい教育を受けました。誰かの手帳を翻訳したり、ロシアの軍艦が入港した時には乗員名簿をコピーしたり。やっぱりお国のためですし、言われた通り頑張りました」

 長男が公安のために働くようになった翌年の昭和五二年、父の清治氏はデビュー作『朝鮮人慰安婦と日本人』を出版する。版元の新人物往来社で担当したのは、後に草風館という出版社をおこすことに なる内川千裕氏である。在日朝鮮人やアイヌ関係の書物を数多く出版してきた人物だが、平成二〇年、鬼籍に入っている。したがって出版の経緯を彼の口から聞くことができないが、週刊朝日の投稿以来、長らく沈黙してきた清治氏がここで出版したのは、何らかのきっかけや理由があったはずである。

 「もともとは自分の自叙伝を書くつもりくらいだったんじゃないでしょうか」と語るのは長男である。

 「私が本を出したのを見て、それもロ述で本を出せたわけですから、私より文章のうまい父は、出版社何社かを訪ねていけば簡単に出してもらえるって思っていたんじゃないでしょうか」

 ただ、と長男は続ける。

 「経験していないことは書けるはずがない。一冊、空想で書くことは不可能でしょう。だから誰か手助けした人がいる。でも私はその頃、過労死寸前くらいに働いてましたから、ずっと家にいた父とはほとんどかかわっていないんです」

 同書にある朝鰭半島に出張しての男性労務者の強制徴用や下関での慰安婦調達の内容に関して、当時、さして反響があったようには思われない。そのせいなのか、昭和五五年、清治氏は朝日新聞川崎支局に売り込みの電話をかけている。それを受けた前川恵司氏が『朝日新聞元ソウル特派員が見た「慰安婦虚報」の真実』の中でこう書いている。

 〈「朝鮮人の徴用について自分はいろいろと知っているので、話を聞いて欲しい」と電話してきたのが、吉田氏だった。

 横浜市内の彼のアパートを訪ね、話を3、4時間は聞いた。(中略)当時の記憶は薄らいでいるが、それでも、彼の話には辻褄が合わないところもあった

 そう書きつつも、この前川氏は三月七日の紙面で「連載韓国・朝鮮人2(27)命令忠実に実行 抵抗すれば木剣」と題する記事を書き掲載した。これは取消記事のもっとも古いものとなる。

 わざわざ電話をしているのは、応募やモニター好きの性向が頭をもたげてきたからなのか、それともこの問題を広めねばならないさし追った理由があったのか。どちらにしても清治氏は積極的に動き出したのだ。

土下座事件

 この時代の清治氏について、驚くべき証言をする人がいる。先の神奈川県警刑事の堂上氏だ。

 「お父さん(清治氏)とは、奥さんの葬式にしても次男の結婚式にしても、すぐその場からいなくなってしまって、ちゃんと話をしたことがなかった。それが突然、鶴見署へ私を訪ねてきた。昭和五五年の梅雨時のことです。玄関で土下座して私を呼んでいると連絡があったので行ってみると、清治氏がいて奇妙な話をし始めた」

 それはこんな内容だったという。"息子がお世話になっています。実はある人から、「お前の息子たち兄弟は敵国であるソ連のために働いていて、けしからん。こういう状況ではこれまで進めたこと、これから進めることにあんたは参加できなくなる。即刻、兄弟をソ連のために働いている会社から退職させなさい。あとの就職についてはこちらで面倒を見る」と言われました。

 それで息子たちに内緒でそれぞれの会社を訪れ、退職させてきました。でもこのままうちに帰れば、息子たちに殺されてしまいかねない。どうか息子たちとの間に入って、彼らを納得させてほしい"

  堂上氏は語る。「私としては、苦労して二人を会社に入れているわけだから、それを勝手に退職させて、間に入ってくれなんて馬鹿な話はない。そもそも就職させたときに挨拶ひとつなかった。いったい何なんだろうと思いましたね」

  それで堂上氏は難詰した。「清治さんの勝手な行動で、かつて息子さんは大学を辞めて戻ってこなければならなくなった。それなのに今日も土下座までして、会社を辞めさせてきたという。親としての責任は感じていないのか、いったいあなたにそう言うのはどんな組織の人なんですかと聞いたら、口ごもってましたが、やがて半島の人ですと言いました。半島と言っても二つあるから、どちらですか、と重ねて間うと、韓国です、と。実は私は聞いた時からKCIA(韓国中央情報部)だと思っていました。それを口に出させようとしたんですが、結局、最後まで、"ある組織"とだけしか言いませんでしたね。その組織がいつも二、三人、そばについていて、もう自由に行動ができないとも言っていました」

 「ある組織とともに、吉田氏は活動してきたというのである。もっともその組織は吉田兄弟が堂上氏の要請で潜入していることを把握していなかった。諜報機関とすればお粗末な話であるが、堂上氏はKCIAと確信した。
関連記事
スポンサーサイト
page back