父の謝罪碑を撤去します 慰安婦問題の原点「吉田清治」長男の独白
父の謝罪碑を撤去します 慰安婦問題の原点「吉田清治」長男の独白 単行本(ソフトカバー) – 2017/6/2
大高 未貴 (著)

【目次】
プロローグ 「父の謝罪碑を撤去します」

zakzak
慰安婦“捏造”吉田氏の長男が真相激白「父は誤った歴史を作り出した」 (1/3ページ)
配信日時:2016.08.23
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20160823/dms1608231140003-n1.htm

デイリー新潮
慰安婦像をクレーン車で撤去したい 慰安婦問題を作った男「吉田清治」の長男が語る
新潮45 2016年9月号掲載
https://www.dailyshincho.jp/article/2016/09050630/?all=1

第一章 終わらせる

産経ニュース
慰安婦「強制連行」偽証の吉田氏長男が「謝罪碑」取り消し 「耐えられない」
配信日時:2017.5.12 07:00
http://www.sankei.com/politics/news/170512/plt1705120011-n1.html

zakzak
慰安婦「謝罪の碑文」、偽証吉田氏長男が取り消し 「不必要な対立、耐えられない」
配信日時:2017.05.14
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20170514/dms1705141000003-n1.htm

産経ニュース
「父の謝罪碑を撤去します」「朝日がやらないから私がやります」ジャーナリスト・大高未貴
配信日時:2017.6.11 15:00
http://www.sankei.com/premium/news/170611/prm1706110005-n1.html

第二章 父・吉田清治

zakzak
朝日が報じ続けた慰安婦証言の吉田清治氏 証言も経歴も虚構 (1/2ページ)
配信日時:2014.09.08
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20140908/plt1409081531005-n1.htm

産経ニュース
「吉田清治」はこうして作られた 慰安婦「強制連行」の原点 ジャーナリスト、大高未貴
配信日時:2017.6.17 01:00
http://www.sankei.com/premium/news/170617/prm1706170015-n1.html

第三章 「語り部」にされた男

産経ニュース
「慰安婦狩り」を偽証した吉田清治「韓国スパイ」説を追う 大高未貴(ジャーナリスト)
配信日時:2016.10.17 01:00  (1/10ページ)
http://www.sankei.com/premium/news/161017/prm1610170003-n1.html

第四章 社会党、挺対協、北朝鮮

【東丘いずひ】舞台「女子挺身隊」女優が見た『挺対協と社会党の闇』[桜H28/1/25]

https://youtu.be/FWf_Hc_6fZM

第五章 誰が「吉田清治」をつくったか

【新井佐和子】仕組まれた日本の戦後責任~樺太朝鮮人帰還請求から慰安婦問題まで Part1[桜H27/11/9]

https://youtu.be/2NF5WF0T3Yo

【新井佐和子】仕組まれた日本の戦後責任~樺太朝鮮人帰還請求から慰安婦問題まで Part2[桜H27/11/16]

https://youtu.be/5HjV3H2WyXc

大根役者

 大高未貴氏は吉田清治の本籍があった福岡県遠賀郡芦屋町を訪ねた。福岡空港から車で約一時間。のどかな田園地帯を抜けると遠賀川が流れている。町の北側は玄海国定公園に指定されている響灘(ひびきなだ)に面していて風光明媚なところだ。町役場で吉田清治の本籍に当たる場所を訪ねたが、古い住所なので場所が特定できず、他で聞き込んだところ、ようやく吉田氏の生家があったと思われる場所を特定できた。

 地元の人は困惑気味にこう語った。

 「確か80年代だったと思いますが、この静かな田舎町にたくさんのマスコミの方が殺到して皆さん、吉田さんの(戸籍の)附表(ふひょう)をとるため奔走していました。しかし、どこもとれなかったようです。

 それにしても、なぜこの地から吉田清治が生まれたのか実に不可解です。芦屋町は古くから保守的な気風が強く、革新が少ない町なのです。右翼の巨頭・頭山満(とうやまみつる)と肩を並べた政界の黒幕・杉山茂丸もここの出身です。もっとも吉田さんは若くして満州にわたり、戦前は下関で強制連行を行ったと告白していますから、芦屋町の影響はあまり受けていないように思われますが・・・・・・」

 芦屋町には「芦屋役者」という中世・時宗の踊念仏(おどりねんぶつ)から始まったとされる福岡藩最大の芸能集団がいたという。また、その他に明治33年に完成した「大国座」は、廻り舞台、両花道などを完備した本格的な劇場だったともいう。

 不埒(ふらち)な例えかもしれないが、慰安婦問題を劇場に例えるなら、清治氏はシナリオライターではなく主演男優の一人だろう。

 元赤旗記者・今田真人氏への取材に答えた吉田清治のあまりに荒唐無稽な発言を読めば、「芦屋役者」ならぬ「大根役者」と思わずにはいられない。例えば平成5年10月18日、吉田清治が80歳になった頃にはこう発言している。

<私は11月末にバチカンにいく。日本の外務省の手足がでないところで暴露をしたい。その一つは、アメリカ人シスターが慰安婦にさせられたことを暴露すること。もう一つは、イスラム教信者を教会の中で集団で強姦したことだ。

 こういう国家犯罪をこれからも私は暴露しつづけたい。

 社会党の女性議員が慰安婦問題を取り組んできたが、バタッととまった。それはなぜか。日本の外務官僚のせいだ。外務官僚がいま、PKOなど、日本の軍国主義をすすめている。国会犯罪を暴露する吉田を支持してほしい。

 社会党のバックにいる日本中の労働組合をふくめて、運動をストップさせたのは何か。外務官僚だ。それを倒すために世界中のキリスト教とイスラム教に助けを求める。それをやれば、ねらわれる。私が死ねば11月末か12月月初、別の人間が会長になる。

 すでに遺言状をつくり、後継者に渡している。>(『緊急出版 吉田証言は生きている 慰安婦狩りを命がけで告発!初公開の赤旗インタビュー』今田真人著、共栄書房、2015年4月)

 吉田清治はいったい何の「会長」だったのか。

 昭和63年(1988)年、吉田清治が「葬られた日本史 朝鮮人強制連行を語る」というテーマで、京都で講演した際にもこんな発言をしている。

<事実、昭和20(1945)年9月に連合軍から山口県の警察に命令が行って、私は「連合軍捕虜虐待」の最高責任者ということで逮捕され、1か月間下関警察所の留置場に監禁されていたました>(『葬られた日本史 朝鮮人強制連行を語る 1988・1・15・16 吉田清治さん証言の会記録』 「吉田清治さん証言会」実行委員会編集、カトリック京都司教区指紋と人権を考える会

 いったいいつ、吉田清治は「連合軍捕虜虐待」の最高責任者になったのだろうか。こういうあからさまな虚言を、聴衆はどう受け止めていたのだろう。

 朝日新聞が長らく放置し、ようやく虚偽と認定して取り消した証言は、ここまで荒唐無稽ではなかった。吉田証言をベースにしたプロパガンダ、つまり「強制連行」と「性奴隷」を世界に宣伝し続けている活動家たちも、さうsがにこの゛吉田証言″は使えないのではないだろうか。

 逆に言えば、吉田清治の著書や講演・インタビュー記事は、彼の荒唐無稽さをきれいに消し去っているとも言えるのではないだろうか。

エピローグ リアリズム

吉田清治は物書きになりたかった。

辻潤・・・明治17年(1884)生まれの評論家。
上脇進・・・明治32年(1899)年生まれのロシア文学者。

吉田清治はこの二人の文筆家の名前を長男に語った。

産経ニュース
「慰安婦狩り」を偽証した吉田清治「韓国スパイ」説を追う 大高未貴(ジャーナリスト)
配信日時:2016.10.17 01:00  (5/10ページ)
http://www.sankei.com/premium/news/161017/prm1610170003-n5.html

 長男が知る限り、吉田清治は朝鮮人とのつきあいはなかったという。李禎郁氏とのつきあいも、だ。吉田清治が年齢の近い禎郁氏を養子にした不自然さも手伝ってか、吉田清治の「背乗り(工作員などが日本人になりすますこと)」説があるようだが、今回、長男が提供してくれた資料によりそれは否定されたと言える。

 「私は父が死ぬまで一緒に住んでいたわけですが、朝鮮人の出入りはなかったですし、朝鮮人の友達もいなかったです。彼ら(朝鮮人)、冠婚葬祭がすごく派手なんでしょ?当然、呼ばれたり、向こうが来たりするはずですから。李さんにいたっては年賀状や暑中見舞いといった挨拶も一切なかったですし」

 ただし、生活が豊かでなかったため、家賃が安い地域に住んでいた時期があった。そのときに長男自身には学校の友人としての朝鮮人との交流があり、彼らの住む地域にも普通に出入りしていたのだという。

 「テレビ朝日の人から、徹底的に調べられたけれど、(吉田家は)朝鮮人集落の近くに住んでいるものの完全にそこの人じゃないんですね、と言われました。(家賃が)安いから近くになったんでしょ、と。そこまでテレビ朝日の人は調べて・・・・・・。そんなことを私に言われても(笑)」

 晩年、吉田清治氏は本を出したことを悔やんでいたという。

 「寝込んでからはよく言ってました。正しい情報を持たないでやってしまったからと。つまり、一人の私人ですから(晩年は)どこからも情報入らなかったのですよ。民団の人やどこかの大学の先生、そういう左派の人はいたらしいですし、いわゆる弁護士、法曹関係、あとマスコミ、そういう人たちが出入りしていた。(父は)そういう人たちから得た情報をもとに活動していたわけですから、そういうので騙されたというのがあったようです。


あとがき

171008-3-1.jpg

産経ニュース
吉田清治氏の慰安婦謝罪碑書き換え 韓国警察が元自衛官の奥茂治氏を出国禁止 損壊容疑で取り調べ
配信日時:2017.6.26 07:23
http://www.sankei.com/world/news/170626/wor1706260007-n1.html

デイリー新潮
韓国で拘束 「慰安婦謝罪碑」を書き換えた「実行犯」の独白
新潮45 2017年7月号掲載
https://www.dailyshincho.jp/article/2017/06261235/?all=1

産経ニュース
菅義偉官房長官「奥茂治氏に適切な支援を行なっていく」 韓国の慰安婦謝罪碑書き換えで出国禁止
配信日時:2017.6.26 23:55
http://www.sankei.com/politics/news/170626/plt1706260042-n1.html

産経ニュース
「たった一人の謝罪」その後…朝日新聞も無関心ではいられないはず 6月27日
配信日時:2017.6.27 05:04
http://www.sankei.com/column/news/170627/clm1706270003-n1.html

産経ニュース
「韓国人が嘘を知るきっかけに」 吉田清治氏謝罪碑書き換え、一時拘束の奥茂治氏インタビュー
配信日時:2017.6.27 08:04
http://www.sankei.com/world/news/170627/wor1706270007-n1.html

NEWSポストセブン
「慰安婦謝罪碑」訂正男性 8回の下見~実行までの一部始終
配信日時:2017.07.03 16:00
https://www.news-postseven.com/archives/20170703_575469.html

zakzak
韓国で“軟禁”の奥茂治氏、慰安婦謝罪碑完全撤廃へ全面対決「徹底的にやる」 (1/2ページ)
配信日時:2017.7.6
http://www.zakzak.co.jp/soc/news/170706/soc1707060005-n1.html

産経ニュース
「裁判で吉田証言の嘘訴えたい」 韓国出国禁止40日超、謝罪碑書き換えの奥茂治氏が会見
配信日時:2017.8.4 18:55
http://www.sankei.com/world/news/170804/wor1708040023-n1.html

産経ニュース
「吉田清治氏長男、銃殺仕方ないと韓国警察に答えた」ウソ慰安婦謝罪碑書き換えで拘束の奥茂治氏が明かす全真相
配信日時:2017.8.27 14:00
http://www.sankei.com/premium/news/170827/prm1708270013-n1.html

産経ニュース
「慰安婦」謝罪碑を書き換えた元自衛官、奥茂治氏を在宅起訴 韓国検察 出国禁止は80日超に
配信日時:2017.9.14 18:19
http://www.sankei.com/world/news/170914/wor1709140035-n1.html

zakzak
「韓国は墓穴掘った」日本政府は反撃に利用を 韓国検察、元自衛官の奥氏を「公用物損傷」で在宅起訴
配信日時:2017.9.26
http://www.zakzak.co.jp/soc/news/170926/soc1709260004-n1.html
スポンサーサイト
産経ニュース
「吉田清治」はこうして作られた 慰安婦「強制連行」の原点 ジャーナリスト、大高未貴
配信日時:2017.6.17 01:00  (1/5ページ)
http://www.sankei.com/premium/news/170617/prm1706170015-n1.html

171008-2-1.jpg
吉田清治氏が建てた「謝罪碑」(関係者提供)

※「吉田清治」長男が韓国・天安市の「謝罪碑」を「撤去」(書き換え)しました。この記事は、その顛末と慰安婦問題の原点「吉田清治」の実像をルポした『父の謝罪碑を撤去します 慰安婦問題の原点「吉田清治」長男の独白』(大高未貴著、産経新聞出版刊)の第2章「父・吉田清治」から抜粋しました。ネットでのご購入はこちらへ。

懸賞マニアだった

 三鷹から下関に戻って間もなくの頃だったか、清治氏はNHKが募集していた「ラジオと私」という懸賞に応募して、一等、一〇万円を獲得したという。当時の大金である。

「私が小学六年か中学一年頃かと思いますが、いい作文でした」

 と長男は振り返る。

 父(清治氏)が帰宅すると、ラジオから流れてくるはやりのコマーシャルソングに合わせ、息子二人が楽しそうに踊っていた。普段、父は子供に歌謡曲を聞かせないようにしていたから、母がラジオを消そうとすると、父はその楽しそうな様子に「そのままで、消さないでよい」と母に告げた--。

 そんな話だったという。

「テレビが買えない貧しい家庭を象徴するものがラジオでした。父は教育に関して厳格でしたので、家では歌謡曲など聞かせてもらえなかった。でもこの時は楽しそうな様子に思わず笑みがこぼれたという内容で、短い文章の中に幸せな家族の情景が浮かぶと高い評価を得たのです。父は福岡に行って表彰され、賞金をもらってきた。あの頃が吉田家が一番幸せだった時かもしれません」

 この頃、清治氏は朝鮮人の経営するパン屋に勤めていた。

 長男に下関の図書館でコピーした古い地図を見てもらうと、

「あっ! ここです。このパン屋さんに父は勤めていたのです」

 となつかしそうに目を細めた。

「その経営者は戦前からの付き合いだったので、父の首を切るにも切れない状態だったそうです。父はパン屋の仕事になじめず、足手まといだったと思います。クリスマスなどは徹夜でケーキを焼いて配達したりと忙しかったようで、社長としては父よりも若手が欲しかったわけです。だからその社長はこれで辞めさせることができると喜んだ。一家はその賞金で引っ越すのですが、父はそのお金で三回も四回も引っ越せると言っていました」

 懸賞に応募したのはこれだけではない。

「応募のほか、ラジオとかテレビのモニターもよくやっていました」

 いまで言う投稿マニアだったのか。

「元動員部長・吉田清治」の始まり

 やがて清治氏はもう一つ、大きな懸賞で佳作となる。

 昭和三八年、『週刊朝日』が「私の八月十五日」の手記を募集し、結果が同誌八月二三日号に掲載された。特選は一名、後に作家、エッセイストとして知られる近藤富枝である。記事には他に入選五名、佳作一〇名の氏名が出ている。その佳作のひとりに吉田東司の名前がある。それは清治氏のことだった。

 入賞作までは全文掲載されているが、佳作は編集者が抜粋しながら紹介している。以下、引用する。

〈特選から佳作に至るまでの各編は、すべて、戦争の被害者としての立場から、八月十五日を想起したものばかりであった。しかしただひとりだけ、下関市の会社員吉田東司氏(四九)は、加害者の立場からあの日を回顧する。

「私はそのころ山口県労務報国会動員部長をしていて、日雇労務者をかり集めては、防空壕掘りや戦災地の復旧作業に送っていた。労務者といっても、そのころはすでに朝鮮人しか残っていなかった。私は警察の特高係とともに、指定の部落を軒なみ尋ねては、働けそうな男を物色していった」

「奴隷狩りのように」と吉田氏自身もいう。その最中にはいったのが終戦のニュースだった。朝鮮人の報復への恐れは、直ちに頭に浮んだ。帰宅した吉田氏の家の前には、案の定、二十人ばかりの朝鮮人が集っていた、動員された朝鮮人の行先を教えろという。問いつめられた吉田氏はついに捨てばちになった。

「私は靴ばきのまま座敷にかけ上がると、床の間の軍刀をつかんで玄関へとび出して叫んだ。

『どうせ戦争に負けたんだから、いまここで死んでやる。おれのしたことに文句がある奴は、殺して道づれにするから前へ出ろ!』

 私は気ちがいのように逆上し、軍刀を抜いて彼らに近づいた。彼らはわめきながら逃げ散った。私はこれまでにしてきたことも、これからしなければならないこともわからなくなって、真夏の太陽の下でむなしく軍刀をふりまわしていた」〉

 山口県労務報国会下関支部の元動員部長・吉田清治としての活動の始まりだった。

 抜粋部分だけでも手慣れた文章である。最後の一文など非常にドラマチックで、話を盛り上げて書く手法を持っていることがわかる。

 長男はこの投稿について少しだけ父から話を聞いていた。

「労務報国会で雇っていた朝鮮人の大半は共産党員だったそうです。終戦の八月一五日か翌日、家に集まってきた彼らに軍刀を振り回したというのは嘘だと言っていました。当時、軍人でもない父に、軍刀は支給されていなかったのです」

 それなら話自体の信憑性も疑われるが、この内容を事実としてすぐに著作に取り込んだ人物がいた。朝鮮大学校で教鞭を執る歴史研究家の朴慶植氏である。強制連行文献のバイブルとされる彼の『朝鮮人強制連行の記録』(未来社)に引用されるのだ。

 ただこの時点では、記事は労務報国会の仕事の範疇での体験であり、「慰安婦狩り」をしていたとも、済州島に行ったとも書いていない。

 次に彼が労務報国会元動員部長として書くのは、昭和五二年。最初の著作『朝鮮人慰安婦と日本人 元下関労報動員部長の手記』(新人物往来社)である。一四年後のことである。

 この間の吉田氏の足取りはこれまでいっさいわかっていなかった。

※続きは、『父の謝罪碑を撤去します 慰安婦問題の原点「吉田清治」長男の独白』(大高未貴著、産経新聞出版刊)を参照。ネットでのご購入はこちらへ。

171008-2-2.jpg
「慰霊碑」と書き換えられた新しい碑(『父の謝罪碑を撤去します』から)



大高未貴(おおたか・みき)

ジャーナリスト。1969年生まれ。フェリス女学院大学卒業。世界100カ国以上を訪問、スクープ証言を多数ものにしている。『正論』『新潮45』などへの寄稿のほか、テレビ、インターネットテレビ出演、講演活動も行っている。著書に『日韓”円満”断交はいかが? 女性キャスターが見た慰安婦問題の真実』(ワニブックスPLUS新書)、『「強欲チャンプル」沖縄の真実』(飛鳥新社)、『ISISイスラム国 残虐支配の真実』(双葉社)など多数。
 
産経ニュース
「慰安婦狩り」を偽証した吉田清治「韓国スパイ」説を追う 大高未貴(ジャーナリスト)
配信日時:2016.10.17 01:00  (1/10ページ)
http://www.sankei.com/premium/news/161017/prm1610170003-n1.html

171008-1-1.jpg
吉田清治氏を取り上げた朝日新聞の記事(手前が昭和58年10月19日付、奥が同年12月24日付)

※この記事は月刊正論2016年11月号から転載しました。

 日本が組織的な「慰安婦狩り」を行ったという吉田清治氏の証言は平成26年8月5日に、朝日新聞が朝刊で「虚偽」と判断し、関連記事も撤回された。果たして彼はなぜ、このような偽証をしたのか、私はずっと疑問を抱き続け、彼の長男にインタビューをするなどして、その真相を追ってきた。その成果の一部はすでに「新潮45」9月号に、掲載している。

 取材で興味深かったことの一つは、吉田氏から韓国の「ある組織の人」と接触していたと明かされたという、公安警察の刑事の証言だった。この刑事は「私は聞いた時からKCIAだと思っていました」と話した。KCIAとは当時、国家安全企画部だった韓国の情報機関のことであり、この刑事の推測が事実なら、吉田氏は韓国のスパイか工作員として使われていた可能性すら出てくる。もちろん、裏付ける証拠はまだないのだが、吉田氏が戦前戦後を通じて朝鮮社会と深い関わり合いをもっていたのは事実である。本誌では、このことについて報告してみたいと思う。

「ある組織」とは

 私がインタビューした公安警察の刑事とは、神奈川県警の元刑事・堂上明氏(仮名)だ。堂上氏は、昭和三十七年に警察学校に入学し、翌年から神奈川県警の戸部署、横浜水上署、本部外事課、鶴見署などに勤務し、公安警察の最前線で諜報活動を行ってきた人物である。その彼が、なぜ吉田氏のことを詳しく知っているのか。彼の話をもとに説明しよう。

 堂上氏は昭和51年、ソ連に留学した経験がある吉田氏の長男とその弟と接触。横浜港に入ってくるソ連船の動きを見張るため、兄弟の語学力の活用を試みた。

 「東芝のパーツ工場にソ連の大学を卒業した人物がいるという情報が入ってきて、会いに行きました。当時、水上警察署のほうから船会社でロシア語ができる人間を求めているという話があった。これは就職させられると、兄は東京共同海運に、弟は別の運輸会社の横浜支店に就職させました」

 いま78歳だという堂上氏は、かつての職場の身分証を示しながら丁寧に記憶を辿って話し始めた。彼は吉田家と一家ぐるみの付き合いをするようになり、昭和55年の梅雨時、吉田氏から重大な事実を聞かされたという。その時のことを、こう証言する。

 「突然、鶴見署へ私を訪ねてきた。玄関で土下座して私を呼んでいると連絡があったので行ってみると、奇妙な話を始めた…」

 堂上氏の証言では、吉田氏はこんな話をしたのだという。

 「実はある人から『お前の息子たち兄弟は敵国であるソ連のために働いていて、けしからん。こういう状況ではこれまで進めたこと、これから進めることにあんたは参加できなくなる。即刻、兄弟をソ連のために働いている会社から退職させなさい。あとの就職についてはこちらで面倒みる』と言われました。それで息子たちに内緒でそれぞれの会社を訪れ、退職させてきました。でもこのまま帰宅したら息子たちに殺されかねないので、息子たちの間に入って、彼らを納得させてほしい」

 堂上氏は、吉田氏の息子たちを、ソ連のために働かせたのではなく、ソ連の情報を集めるために、会社に潜り込ませたのだが、吉田氏はそれを知らなかった。しかし、吉田氏に、そんなことを言わせた「ある人」とは誰だったのか。堂上氏は私の前で、このときの吉田氏との会話を再現した。

 「私が『一体、あなたにそう言うのは、どんな組織の人なんですか』と聞いたら、口ごもってましたが、やがて『半島の人です』と言いました。半島といっても二つあるから『どちらですか』と重ねて問うと、『韓国です』と。実は私は聞いた時からKCIAだと思っていました。それを口に出させようとしたんですが、結局、最後まで『ある組織』とだけしか言いませんでしたね。『その組織がいつも2、3人、そばについていて、もう自由に行動できない』とも言っていました」

 昭和55年といえば、吉田氏が慰安婦について初めの著作『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社)を書いてから、3年後である。そのとき、彼は「組織がいつも2、3人、そばについていて、もう自由に行動できない」という状態にあったというのである。

 とはいえ、彼の偽証にKCIAの関与があったとしたら、そのずさんな工作ぶりには疑問が残る。長男は私に「韓国から戻ってきた後、父のパスポートを見てびっくりした記憶があります。日本からの出国と帰国のスタンプはあるのですが、韓国への入国、出国のスタンプが押されていない。何故かと聞いたら、韓国の空港につくやいなや韓国政府の人がやってきて特別室に案内され、そのままソウルの街に出たんだそうです」と話したのだが、私がこのことを韓国の情報筋に問うと「まがりなりにもKCIAは国の情報機関ですからそういった失態はしないでしょう。政治家や民間の活動家の失態ならまだしも…」という。

 吉田氏は堂上氏にある組織から30万ばかり借りていると告白しているが、これも不自然だ。仮にKCIAなら、もう少しまとまった金を渡すのではなかろうか。

 そんな疑問を堂上氏にぶつけると「KCIAも、途中で嫌になっちゃったんだと思いますよ。この人を利用することはできないなと気がついた。そしてKCIAより、朝日新聞がうまくやってくれたということ」と苦笑した。

 吉田氏はこの4年後、韓国で元慰安婦に謝罪するパフォーマンスなどをし、朝日新聞によって集中的に報じられた。翌年、韓国が全斗煥大統領(当時)の初訪日の際、朝鮮半島統治などについて昭和天皇の反省表明を日本側に求めていた事が発覚(産経新聞平成27年3月30日付記事)、昭和天皇は宮中晩餐会で遺憾の意を表明することになる。そこにKCIAの工作があったと決めつけることはできないが、少なくとも、朝日新聞の世論誘導と無関係とはいえないのではないだろうか。

封印された朝鮮養子の過去

 吉田清治氏が朝鮮半島出身者と、単なる知人などというレベルを超えた深い関係を持っていたのは事実である。彼の来歴で、最も不可解だとされていた事の一つに朝鮮人養子の謎がある。吉田氏は戦前、22歳のときに満州で李禎郁という19歳の男性を養子にしている。禎郁氏はその5年後、満州で日本人と結婚する。吉田氏の長男はこう言う。

 「若い頃、正義感に燃えて養子にしてやったと父は言ってましたが、どこまでが本当のことなのか。私は会ったことがありません。ただ養子にしたことで、親戚から戸籍を汚したと、非難されたようです」「禎郁氏は戦後、全駐留軍労働組合の組合委員長になったようです。沖縄にいたということを聞いたことがありますけど、なにせ一度も会ったことがないので分からないのです」

 全駐留軍労働組合は米軍基地の労働者の労組である。禎郁氏が沖縄にいたことは確認が取れなかったが、福岡市板付の米軍基地(福岡空港)で活動家になっていたことは確かだ。前述の堂上氏も、私にこう証言をしていた。

 「『あなたはなぜ韓国に興味を持っているか』を聞いたんです。そうしたら、『私はいいこともするんですよ、全駐労って知ってますか。全駐労の人とも私、お話ししてます。全駐労の初代委員長、韓国人なんですよ。でもそれじゃ困るからと私の籍にいれさせたんですよ』。そういう話を聞きました」

 すでに知られていることだが、吉田清治氏の本名は「吉田雄兎」である。禎郁氏の父母は現在の北朝鮮にあたる朝鮮半島咸鏡南道出身だったが、記録では、昭和12年4月30日に吉田雄兎の養子となっている。

 その後、禎郁氏には2人の子供が生れた。長男は昭和18年に福岡で出生、次男は昭和20年8月に中国・遼寧市で生まれている(翌年瀋陽で死去)。だから日本と大陸を行き来していたことがうかがえる。さらに戦後は日本に来て、2人の子宝に恵まれ、吉田家の籍からは昭和23年に抜けている。

 不思議なのは、清治氏が自著『朝鮮人慰安婦と日本人』で、禎郁氏を戦死したことにしていたことだ。吉田氏は、禎郁氏の戦後を封印しているのだ。

 この本には、禎郁氏と思われる「金永達」という人物が登場するが、この「金永達」は東京生まれで、昭和12年に吉田氏の養子となり、同年小学校教師の日本人と結婚、直後に小倉連隊に入る。12年、満州国国務院地籍整理局の官吏に合格した吉田氏は新京の日系官吏養成所の勤務となり、寄宿舎で同室だった同僚が「金永達」だったことになっており、朝鮮出身の官吏が日本人待遇から満人待遇に変更させられ、肩を落とす「金永達」に対して、吉田氏は養子縁組を持ちかけるのだ。

 同書には「私はそのとき、金永達にたいして民族的な優越感をもって、無造作に自分の思いつきを話だしていた」とある。

 養子縁組は禎郁氏の事実と重なるが、なぜか「金永達」は翌13年9月、中国の間島省で戦死したことになっている。同書の他の箇所を見ても、事実に話を加えて虚実綯い交ぜにするのは吉田氏の特技ともいえる。ただ、著書の内容や堂上氏への証言から推測すれば、朝鮮籍の禎郁氏を養子に入れたことは“当時、日本社会で差別されていた可哀そうな朝鮮人を救ってあげた”“戦後は彼の秘密が暴かれないように作品の中で殺してあげた”という美談として考えることも可能かもしれない。

 だが、本当にこんなきれいごとだけで済まされる養子縁組だったのだろうか。

 私は福岡県に住む禎郁氏の長男を訪ねた。瀟洒(しょうしゃ)な庭つきの立派な邸宅だった。家には入れてもらえず、門越しに長男が取材に応じてくれた。養子入りの事情については「何も存じません」の一点張りだった。ただ、あらためて問答をふりかえると、父に関して何らかの情報を持っていたのではないかとも思える。取材では禎郁氏の長男から「30年以上前に死んだ親父について何を調べているのですか?」というセリフが何度か繰り返された。

 --お父さんと関係があった吉田雄兎さんの事を調べています。

 「雄兎さんの事を調べられたのですね。有名な方なのですか?」

 --吉田清治さんをご存じですか? 慰安婦問題で有名な方です。

 「いや知らないですね。雄兎さんが吉田清治で、あなたは吉田清治の長男から私の父の話を聞かされたという事ですね。そして労働組合の委員長だったと聞いたんですね」

 --お父さんの事も吉田清治さんが書いた本に書かれています。

 「なんという本?」

 --『朝鮮人慰安婦と日本人』。

 「そこに親父が出て来るんですか?」

 --お父さんの名前は別名になっているし、養子にしたとしか出てこない。《長男の表情がやけに厳しい面持ちに変わった。》

 「まあ!すみません、あんまり(家族に)話を聞かせない方が良いと思うんで。私はまあ一応話を聞いて大体解るんですが、弟たちは全く知らないので、訳が分からんと思うんです。父は何も話さなかったです。よほど喋りたくなかったんじゃないですかね。何かありましたらあなたに連絡します」

 そこで取材は打ち切られ、以降、長男からは一切の連絡もない。ここからは推測になるが、禎郁氏は“在日”であることをひた隠しにして生きてきたのではなかろうか?

 在日米軍基地は朝鮮戦争時、朝鮮への兵員、軍需物資を補給するための国連軍の兵站物資補給地として機能していた時代があった。その事から、北がルーツの禎郁氏が全駐労の幹部まで上り詰めていたとすれば、重い胸の内も推してはかることができる。吉田氏はそれに配慮したのかもしれない。

カネに困っていた?

 しかし、吉田氏から日本の戸籍をもらった禎郁氏は、裏をかえせば一生涯にわたって吉田氏に弱みを握られたとも考えられる。もしかしたら吉田家養子縁組の代償として吉田氏になんらかの形で金銭的な便宜をはかってきたのではなかろうか。全駐労幹部ともなれば退職金含め、かなりの給与を貰っていたはずだ。定職にもつかず、ほぼ息子たちの稼ぎで生活していた吉田氏の余裕はどこからきたのか。詳しくは紙面の都合で割愛するが、吉田氏は一時期、文筆家以外の仕事で禎郁氏に職業を斡旋してもらっていた形跡もある。

 最後に前述した神奈川県警の堂上氏のある告白を紹介する。昭和60年に堂上氏が早期退職した際、数年ぶりに吉田氏から三田駅近くのビルに呼び出され、再就職斡旋と引き換えにカネを求められたというのだ。

 「お父さん(吉田氏)は私に『あなたは、好んで警察を辞めたんじゃないでしょう。もとに戻りたかったら、私の線で復職させてあげますよ。どうですか』って言ったんです。『私の線で』って言いましたよ。私、その気はなかったのですけど、逆に魂胆をさぐろうと思って『どうすればいいの? お父さんの力、借りようかな』と言ったのです。『それだったら、新聞紙に180万円を包んで持ってきなさい』と。そういうことを平気で言うんですよ。私が『180万円、持ってくれば何とかなるの?』と言ったら、『いや、前のポジションより、もっといいポジションを用意させますから』。私は『ああ、お父さん、すごい力があるんだね。以前、息子に殺されるって言ってた話がうそみたいだね』って。それで、そこのお茶代の支払いも私がしてお別れしたきりですよ」

 この2年前に禎郁氏は他界している。吉田氏とKCIA、禎郁氏との本当の関係はまだ解明できていない。しかし、封印された朝鮮人養子の過去をたどると、彼と禎郁氏の数奇な人生が一枚のタペストリーのように織り重なって見える。一方で両氏の息子たちの人生は一度も交差しない。そのことが寒々しく感じられると同時に、両氏の息子たちへの最大の配慮だったのかもしれないとも思える。



大高未貴(おおたか・みき) フェリス女学院大学卒業。著書に『強欲チャンプル 沖縄集団自決の真実』(飛鳥新社)、『日韓“円満”断交はいかが?女性キャスターがみた慰安婦問題の真実』(ワニ新書)など。
 
zakzak
「韓国は墓穴掘った」日本政府は反撃に利用を 韓国検察、元自衛官の奥氏を「公用物損傷」で在宅起訴
配信日時:2017.9.26
http://www.zakzak.co.jp/soc/news/170926/soc1709260004-n1.html

171003-1-1.jpg
奥氏が貼り付けた「謝罪碑」の石板をはがす作業員ら(聯合=共同)

 朝鮮半島で女性を強制連行したとウソの証言をし、朝日新聞などが何度も取り上げた故吉田清治氏が韓国に建てた謝罪碑を書き換えたとして、韓国検察は今月半ば、元自衛官の奥茂治氏(69)を公用物損傷と建造物侵入の罪で在宅起訴した。奥氏はこの起訴を「韓国は墓穴を掘った」「日本が反撃に利用できる」と受け止めているという。ジャーナリストの大高未貴氏が緊急寄稿した。

 奥氏は今年3月、「父の偽証が日韓友好を妨げている」という吉田氏の長男の依頼を受け、韓国中部、天安(チョナン)市の国立墓地に建つ碑の上に別の石板を貼りつけ、「強制連行」の謝罪文を「慰霊碑」という簡潔な文言に書き換えた。

 韓国警察は6月下旬、出頭要請に応じて再び韓国を訪れた奥氏を拘束した。拘束は直後に解かれたが、奥氏を出国禁止措置とし、2カ月半以上たった14日に起訴した。その起訴状を見て、奥氏はあぜんとしたという。

 「朝日新聞が大誤報を認めたように、謝罪碑に刻まれていた内容はまったくの虚偽でした。吉田氏の『元勞務報國會徴用隊長』という肩書もウソ。それなのに、韓国検察は『公用物損傷』という『国が使用しているものを損壊した』として起訴した。つまり、虚偽の謝罪碑を、日本を貶めるプロパガンダに使用していたことを自ら認めたことになるのです」

 奥氏は、碑の所有権は相続した吉田氏の長男にあるとして「公用物損壊には当たらない」と無罪を主張。法廷で徹底的に争う姿勢だ。

 出国禁止措置になってから、奥氏は日本政府に働きかけたことはなかったが、起訴状を見て「これは日本政府の切り札になる!」と直感したという。奥氏は続けた。

 「韓国が国家として『虚偽の謝罪碑使用』を認めた。韓国の恥といえ、慰安婦だけでなく、徴用工問題のウソを世界に証明する切り札になるのではないか。韓国を対外的に追い込むチャンスなので、日本政府にはうまく利用してほしい

> 朝日新聞が大誤報を認めたように、謝罪碑に刻まれていた内容はまったくの虚偽でした。吉田氏の『元勞務報國會徴用隊長』という肩書もウソ。
結論ありきで日本を貶めたい朝日新聞にとって嘘であろうと利用できるものは紙面を飾る。ジャーナリズムの誇りはないのでしょう。

> 韓国検察は『公用物損傷』という『国が使用しているものを損壊した』として起訴した。つまり、虚偽の謝罪碑を、日本を貶めるプロパガンダに使用していたことを自ら認めたことになる
韓国は国ぐるみで嘘でも日本を貶めるためならプロパガンダに使用する。吉田清治氏自身が韓国に謝罪行脚に行った際、パスポートに日本を出国したスタンプはあったけど、韓国に入国したものはなかった。金浦空港に着いたら、KCIA(大韓民国中央情報部)の人が現地まで吉田清治氏を車で連れて行ってくれたそうだ。

当時、吉田家には海外旅行に行ける余裕はなかった。吉田氏の長男さんは過労死寸前まで働いていたので、お父さんが何をしていたのか把握できなかった。「私の戦争犯罪」を出版する費用は全て韓国政府が持って、吉田氏に虚偽捏造本を書かせたのだろう。

> 韓国が国家として『虚偽の謝罪碑使用』を認めた。韓国の恥といえ、慰安婦だけでなく、徴用工問題のウソを世界に証明する切り札になるのではないか。韓国を対外的に追い込むチャンスなので、日本政府にはうまく利用してほしい
日本政府はシナーとテョン国が繰り広げる歴史戦に連敗しっぱなし。外務省は無策。奥茂治さんが体を張って獲得した切り札を日本政府は使って、形勢逆転して欲しい。
産経ニュース
「吉田清治氏長男 銃殺仕方ないと韓国警察に答えた」ウソ慰安婦謝罪碑書き換えで拘束の奥茂治氏が明かす全真相
配信日時:2017.8.18 07:00
http://www.sankei.com/premium/news/170818/prm1708180006-n1.html

171007-2-1.jpg
インタビューに応じる奥茂治氏=韓国・天安市(桜井紀雄撮影)

 朝鮮半島から女性を強制連行したと偽証した故吉田清治氏が韓国の国立墓地に建てた謝罪碑を勝手に書き換えたとして、韓国警察に一時拘束された元自衛官の奥茂治氏(69)が出国禁止となってから50日以上が経過した。拘束されると分かっていながらなぜ、韓国に来たのか。そもそも謝罪碑を書き換えた動機は何か。出国禁止生活はどんなものか。奥氏に疑問をぶつけてみた。(聞き手 ソウル 桜井紀雄)

 金刑事との約束 入国目的は「警察出頭」

 --6月24日に韓国警察に一時拘束されましたね。拘束される恐れがあるのになぜ韓国に来たのですか

 「周囲からは『韓国警察に逮捕されると、何をされるか分からない。強引な取り調べで自供をさせられるかもしれない』とさんざん止められましたが、約束もありましたし」

 --約束とは

 「謝罪碑を書き換えた翌月の4月、『金(キム)』という刑事から出頭を求める電話がありました。書き換え後に国立墓地の管理事務所に出した手紙に連絡先まで記していたので、それを見てかけてきたのでしょう。私は金刑事に『行きます』と約束しました」

 「外国であっても刑法に触れるというなら、その国の法律で罪を償う必要がある。逃げも隠れもしません。日本人として恥ずかしいことはできない

 --拘束された状況は

 「韓国に向かう航空機内で客室乗務員から『一番先に降りてください』と告げられ、拘束されるかなと思いました。拘束も覚悟し、入国カードの目的欄には『天安(チョナン)西北警察出頭』と書きました」

 《そう話し、携帯電話のカメラで撮った入国カードの写真を見せてくれた。天安とは、謝罪碑が建立された国立墓地「望郷の丘」がある韓国中部の都市だ》

 「空港に到着すると、警察官から公用物損壊と不法侵入容疑の拘束令状を示された後、手錠をかけられ、天安西北署に連行されました」

 --取り調べの様子は

 「警察で2回、検察で2回取り調べを受けたのですが、(取り調べを録画する)可視化も行われており、警察、検察ともに非常に紳士的で、法律に沿った手続きを重視する姿勢が見受けられました」

 「拘束の翌日未明には、拘束を解かれましたが、警察は時間を気にしていて、早く拘束を解こうとしているなと感じました」

 「警察や検察から、なぜ出頭したのかとも聞かれ、こういう人はいないと、『勇気に敬服している』とも言われました

 負の遺産が残る-長男にとって耐え難いこと

 --そもそもなぜ謝罪碑を書き換えたのですか

 「15年ほど前から慰安婦問題について調べ始めましたが、ここまで日韓関係をこじれさせた原因を探ると、いつも『女性を強制連行した』という吉田清治氏の嘘に突き当たる」

 「5年前、古本店で偶然、吉田氏の長男が書いた本を見つけたのをきっかけに長男とも知り合ったのですが、長男の口から出たのは『ソウルの日本大使館前の慰安婦像を撤去してしまいたい』との言葉でした」

 「それほど父親がついた嘘に苦しめられてきたのでしょう。『原因は親父だ。負の遺産を取り除きたい。死んでも死にきれない』とも話していました」

 「さすがに大使館前の像を撤去するわけにはいかず、1983年に吉田氏が著書の印税で建てた謝罪碑なら撤去できると思いつきました」

 --実際には、撤去ではなく、謝罪碑の上に「慰霊碑」と刻んだ石板を貼り付けた

 「実際、国立墓地に行ってみると、礎石に固定され、重機でなければ撤去できない。それで、3枚に分けた石板を貼り付けることにしました」

 「3月20日夜11時ごろに現場に着いたのですが、石板1枚が約35キロ。休み休み担いで運ぶだけで約2時間かかりました。作業が終わったのは翌日未明の3時半になっていました」

 「『もう一度やれ』と言われても、もうできません。今から振り返ると、よくまあ、やったと思います」

 --管理事務所に事前に書き換えを申請せず、事後に手紙で伝えたのはどうしてですか

 「最初は、申請しようと思いましたが、政治的なことから許可されない恐れがあった。そうすれば、嘘の碑がずっと残ってしまうことになる。それは吉田君(吉田氏の長男)にとって耐えられないことだと思いました」

 《作業を終え、日本に帰国後、吉田氏が「強制連行した」と刻んだ碑文が虚偽と判明し、朝日新聞も記事を取り消したこと、日韓友好を妨げる負の遺産として碑文を「封印」した事実を通知するための手紙を管理事務所宛てに送った》

 「警察からも『先に届け出れば、罪にならなかったのに。順番が逆だ』と言われました。検察からは『罪になったとしても、碑をなくすことの方が重要だったんですね』と念押しされました」

 韓国人は嘘に怒るべき

 --取り調べでは何を聞かれたのですか

 「『吉田氏の長男から指示されたのか』と聞かれました。長男との共謀を疑っていたのでしょう。ただ、長男は撤去を委任しただけ。事前に申請しないことを含め、全部、私独りが計画し、実行しました」

 「長男の住所を確認するため、警察に長男に電話をかけるように言われたことがあります。韓国に来る意思はあるかとの警察の問いに(長男は)『韓国に行けば、銃殺されても仕方がない』と答えていました。父親の嘘によってそれほどの罪を負っているとの意味です

 「警察は『委任状は本物か』といったことを聞いていましたが、それだけです。長男が罪に問われることはないでしょう」

 --他に聞かれたのは

 「検察から、吉田清治氏の謝罪碑には『慰安婦とは書いていないが』と尋ねられました」

 「碑が建立された83年当時、韓国では、慰安婦問題がほとんど問題になっていなかった。吉田氏や『反日的な日本人』が騒ぎ立て火をつけたのだという過去の状況を説明しました」

 「慰安婦問題を政治的に利用しようとした日本人がいる。韓国人は本来、こうした嘘に怒らなければいけない立場のはずです」

 --検察や警察には理解されましたか

 「取り調べを受けているうちに吉田証言が慰安婦問題に与えた影響や、朝日新聞が嘘の証言の記事を取り消したという事実が韓国でほとんど知られていないと実感しました

 「ただ、警察や検察はそうした状況をよく勉強しようとしていて、真実を把握しようという努力がうかがえました

 --韓国の捜査機関はそんなに誠実なのですか

 「『あなたに有利になりますから』と記事を取り消した記事を情状証拠として朝日新聞から出してもらうようにも言われました。朝日のソウルの支局を訪ねたところ、『日本人スタッフが出払っている』と言われましたが…」

 「朝日新聞は、韓国の新聞社に広告を出すなど、記事を取り消した事実を韓国にもっと説明する努力をしてもいいと思います」

 国立博物館に預けたものを勝手に壊したら?

 --事前申告なしに碑を書き換えた事実は認めているわけですね。公用物損壊容疑についてはどう答えているのですか

 「警察や検察側は、国が管理する公用物を壊したとの主張です。検察からは、接着剤の跡がついた謝罪碑の写真を見せられ、『元の文字が読めなくなっているので、器物損壊に当たる』と告げられました」

171007-2-2.jpg
 《奥氏が謝罪碑に貼り付けた石板は管理者側によって取り剥がされ、碑には所々、奥氏が貼り付けに使った接着剤の跡が残る》

 「警察からは、『韓国人が日本の国立博物館に預けているものを勝手に壊したらどうなる?』とも質問されました。国に管理権があるのは認めます。しかし、所有権は別で、その点は争いますと伝えました」

 「謝罪碑は吉田氏が私財で建てたもので、土地の使用料も払っています。寄贈したものではなく、所有権は相続した長男にあります。所有権者の依頼なら刑事罰を受ける必要はないはずです

 --不法侵入については

 「実行前に何度か国立墓地を下見しました。正面の門が閉まる夜間も、市民らが脇道から入って、ジョギングをしたり、運動をしたりしている光景を直接見ました。夜間も人々が自由に出入りしている場所で、不法侵入にも当たらないはずです」

 「逆に管理者側が石板を勝手に剥がしたことは問題なはずです。民事訴訟で謝罪碑の完全撤去を申し立てることも考えています」

 --容疑を認めれば、一般的に略式起訴され、罰金で済まされることが多い事案のようですが

 「略式起訴は受け入れず、あくまで法廷で立証したいと考えています。吉田氏の嘘に原点があるということも公的な場で訴え、韓国社会に知らせることができると考えています

 カレー作りで日韓交流

 --出国禁止が長期間になりましたが、どのような生活を送っているのですか

 「天安市のホテルで、毎日、韓国刑法とにらめっこをしています。さすがに途中から安めのホテルに移りましたが」

 --不便なことは

 「一度、お腹を壊しましたが、それを除いて特に不便は感じていません。自衛隊生活で洗濯やアイロンがけも慣れています。移ったホテルの近くで野菜を売っているおばちゃんたちとも親しくなりました」

 「最寄りの喫茶店に勤める女性が、日本語ができ、時折、おばちゃんたちとの通訳をしてくれます。携帯電話の日本語翻訳機能を使って『友だちになりたい』と言ってくれる人もいます」

 「『日本のカレーが食べたい』と言われ、食材を買いそろえ、ホテルの厨房で作って10人ほどに振る舞ったこともあります。海上自衛隊に勤務していたので、カレー作りは自信があるんです。大好評で、レシピを教えてホテルでもメニューとして出すようになりました」

 --捜査を受けている日本人だと知って地元の人たちの最初の反応はどうでしたか

 「『国立墓地の謝罪碑を壊したのは僕です』と告げたところ、最初は引かれましたが、吉田清治氏の嘘に原因があると説明していき、最後は理解してもらえました。こんな田舎に連れてこられ、かわいそうだと同情し、皆、親切にしてくれます」

 --結果的に日韓交流になっているわけですね

 「生の実態を肌で感じないと分からないと、以前、元慰安婦の女性らが暮らす施設にボランティアを申し込んだこともありました。断られましたが」

 「私は嫌韓派ではありません。韓国が好きでないとこんなことはできないとの指摘もありました」

 --韓国で出国禁止となった後、裁判で無罪になった産経新聞の加藤達也元ソウル支局長のケースを連想する声もあるようですが

 「加藤さんと私のケースは違います。ジャーナリストとして記事に書いたことで訴追されることはあってはならない。一方の私は、韓国にとって刑法に触れるか調べる必要がある容疑者です」

 --日本政府に求めることは

 「私の場合、韓国当局が刑法に沿って判断すべきこと。捜査機関が国際法に反する行為に出れば別ですが、今のところ、政治は関与すべきでないと考えます。自己責任の範疇(はんちゅう)ですから。公判の場で、吉田証言の嘘を訴えていきたいと思います」

      ◇

奥茂治(おく・しげはる)氏

 昭和23(1948)年、鹿児島県奄美大島生まれ。昭和40~45年、海上自衛隊に勤務。その後、予備自衛官。現在は那覇市在住。不動産・飲食業を営む一方、沖縄の基地政策などを研究する民間の「南西諸島安全保障研究所」所長を務める。約15年前から韓国を中心に中国、フィリピンの慰安婦問題の調査・研究を進める。約20年前には、沖縄県石垣市の尖閣諸島に本籍を移し、その最初のケースとなった。

171007-2-3.jpg
ソウルで記者会見する奥茂治氏=2017年8月4日(桜井紀雄撮影)

奥茂治さんは外国で刑を犯したからといって逃げずに、正々堂々としていて立派だね。

意外にテョン国の司法は可視化されていて紳士的な態度とは!日本人だから意地悪するのかと思いきや、法律に沿った手続きを重視する姿勢が見えるとは驚きだわ。出頭したことについて、「勇気に敬服している」と言われたとは、テョン国人でもまともな人がいるんだね。

> 5年前、古本店で偶然、吉田氏の長男が書いた本を見つけたのをきっかけに長男とも知り合った
この本は長男さんと次男さんと共著のソ連留学本の事だね。出版社の人が家に来て、インタビュしたものを本にしただけで、吉田氏の兄弟が書いた訳じゃないらしい。

> 「『あなたに有利になりますから』と記事を取り消した記事を情状証拠として朝日新聞から出してもらうようにも言われました。朝日のソウルの支局を訪ねたところ、『日本人スタッフが出払っている』と言われましたが…」
自分で原因作っておきながら、日本人スタッフが出払ってますー???日本人以外の現地スタッフじゃ対応できないのかなあ。もう、後で連絡してくれてもいいでしょう。それに、アカヒ新聞はもっと愛すべき祖国に日本人スタッフを増員したらいかが?

>  「朝日新聞は、韓国の新聞社に広告を出すなど、記事を取り消した事実を韓国にもっと説明する努力をしてもいいと思います」
本当にその通り。“誤報”でしたー♪と取り消したのであれば、取り消した事実を韓国に向けて、たくさん発信しないといけないと思う。韓国の人は日本人が悪い事をしたと信じ切ってることでしょう。ニダ国人は純朴で洗脳されやすい民族だからね。

朝日新聞はメディアとしてのプライドがないのかなあ。嘘を書いても購読料がとれるなんておかしいでしょう。本当に新聞社として誇りがあったら、訂正した上で真実を韓国に広めるべき!その義務がある。

> 吉田清治氏の嘘に原因があると説明していき、最後は理解してもらえました。こんな田舎に連れてこられ、かわいそうだと同情し、皆、親切にしてくれます
奥茂治さんはコミュ力が高い人だね。まあ、外国で石碑の撤去作業ができる器用な方だからね。左官の修行に行って、撤去作業中、テョン国人にボコボコにされても、めげずにやり遂げた事が素晴らしい。
page back