サンクスツアー秋田公演(3/12(木)~15(日)予定)の延期が発表されましたね。秋田県だけあって、「延期時期は2020年秋頃を予定」だそうですね。秋の秋田県の方が訪れやすい季節で、きっと延期した分より良い公演になるでしょうね (^^♪

私は広島公演(4/4(土)~5(日)予定)ももしかしたら延期になるのでは?と早くコロナウィルスの終息を願っています。もっとも、宿主である中国人の入国を止めない日本政府のせいで、武漢肺炎の拡散が広がってより酷くなるのではないかとも思っています。

ところで、フィギュアスケートに関する本を何冊も出している田村明子さんの今から10年前のバンクーバー五輪直後に出版された本を今頃読んでみました。バンクーバー五輪からもう10年経つんですねえ (;^_^A

パーフェクトプログラム―日本フィギュアスケート史上最大の挑戦
パーフェクトプログラム―日本フィギュアスケート史上最大の挑戦 (日本語) 単行本 – 2010/3
田村 明子 (著)

本は絶版になっており、文庫にはならなかったようなので、アマゾンのマーケットプレイスで注文しました。札幌市から送られて来ました。田村明子さんの本は電子書籍化されていないのが残念ですね。絶版になっている本をぜひ電子書籍化して欲しいです!

2018年の平昌五輪前にdoroshi-さんから、「氷上の光と影 知られざるフィギュアスケート」をご紹介いただき読んでみました。2006年のトリノ五輪後に書かれた本で、非常に面白い本でした。2002年のソルトレイクシティ五輪のペアの不正採点に端を発したことから、旧採点方式から新採点方式に変わった経緯が書かれていました。

氷上の光と影 知られざるフィギュアスケート
氷上の光と影 知られざるフィギュアスケート (日本語) 単行本 – 2007/2/24
田村 明子 (著)

田村明子さんは本の著者紹介の所の写真を見る限りとても美しい方で、岩手県のご出身。やはり、北国の方はスキーとスケートが生活に密着しているので、愛好家や選手が多いですよね。学校の授業でも冬季はスキーやスケートの授業があるんですよね。

前置きが長くなりましたが、「パーフェクトプログラム」の感想に入ります。

第1章|スケート強国にっぽん:山田満知子コーチについて主に書かれている第1章では、日本スケート連盟の組織についてちょっと分かるようになります。前もって、よくまとめてある真嶋夏歩さんの「浅田真央は何と戦ってきたのか」を読まれる方が効率が良いと思います。

浅田真央は何と戦ってきたのか - フィギュアの闇は光を畏れた - (ワニブックスPLUS新書)
浅田真央は何と戦ってきたのか - フィギュアの闇は光を畏れた - (ワニブックスPLUS新書) (日本語) 新書 – 2018/12/8
真嶋 夏歩 (著)

その山田満知子コーチについて多くのページを割いている第1章では、2006年に背任容疑で逮捕された元日本スケート連盟会長久永 勝一郎(ひさなが かついちろう)氏にプリンスホテルや国土計画でスケート選手の育成に携わった西武鉄道グループの元オーナー堤義明氏と野辺山合宿(全国有望新人発掘合宿)を企画実施したスケ連の女帝と言われる城田憲子氏についての記述があります。

真央さんがトリノ五輪に出場できなかった件は今でも釈然としません。それの答えがこの本に書かれていました。

P35 浅田真央がトリノ五輪に出られなかった理由

 それならばなぜ、あのシーズン絶好調だった浅田真央を例外としてトリノ五輪に出すようISUに働きかけなかったのか。

 あのときの日本の一部のマスコミの報道を見ると、まるで少し頑張れば可能なことだったかのように錯覚してしまう。今でもそう思っている人もいるかもしれない。

 年齢制限に関するルール変更は、ISU総会を通さなくてはならない。ISU総会は、2年に1度、偶数年の初夏に開催される。

 ISU広報担当のデヴラ・ピットによると、五輪と世界選手権に出場するためには、前年の7月1日までに15歳に達していることという現在のルールは、1996年6月のISU総会でフランスから提案され、多数決で支持されて決定したことだという。

 余談ながら、このとき例外として、1996年7月1日以前にすでにISU競技会に出場していた選手は、活動を続けることが認められた。1997年世界化選手権に14歳だったタラ・リピンスキーが出場を許されたのは、すでに前年の1996年世界選手権に出場していたためだった。

 その後、年齢制限を緩めようとする提案はこれまで何度か行われてきて、この議論は必ずISUメディカルアドバイザーの立会いの許で話し合われてきたという。だがいずれも合意に達することができないまま、却下されてきた。

 五輪や世界選手権に出場する可能性を与えると、その練習のプレッシャーにより、成長過程にある子供の健康が損なわれるというのがその理由である。ちなみにリピンスキーは長野五輪優勝後、傷めた股関節の手術を受けたが完治せず、現在ではスケートを活動はいっさい行っていない。

 このルール改正をトリノ五輪の前に提案するとすれば、2004年6月にオランダで行われたISU総会が最後のチャンスだった。

 2005年12月に、浅田真央がGPファイナルで世界チャンピオンのイリナ・スルツカヤに勝つことは、さすがに誰も予想していなかった。だからといって、あの時点で日本スケート連盟にも、ISUにも、彼女の五輪出場のためにできることは何もなかったのである。

フランスが五輪出場年齢を15歳にすると提案されたとは・・・○| ̄|_  フィリップ・キャンデロロさんが真央さんの事をゴッドファーザーと言ってくれているぐらいなので、まさかフランスが真央さんのトリノ五輪の出場の障壁を作った張本人だったというのが残念ですねえ。

第二章|採点をめぐる水面下の攻防ではニューヨーク在住の田村明子さんの取材範囲だからでしょうか、カナダにお住まいの天野真さんへのインタビューが多いですね。

銀盤の軌跡: フィギュアスケート日本ソチ五輪への道
銀盤の軌跡: フィギュアスケート日本ソチ五輪への道 (日本語) 単行本 – 2014/1/31
田村 明子 (著)

ちなみに田村さんは「銀盤の軌跡: フィギュアスケート日本ソチ五輪への道」ではアマーノの採点は絶対に間違いない!と断定されていました。田村さんはあくまで体制側の人ですね。

P64頁の2003年11月のスケートカナダの下記の音量を小さくする件の箇所でエフゲニー・プルシェンコのエージェントである、あのアルメニアのリンクのアリ・ザカリアン氏が登場します。

カナダの事を黒紅葉と某巨大掲示板で揶揄されていましたが、P65「カナダが自国のライバル選手の音楽のボリュームを低めにかけるというのは、かねてからスケート関係者の間で囁かれていた噂だった」と田村さんは書かれています。

男子の四回転についての記述です。2008年のイェーテボリ・ワールドのチャンピオンであるジェフリー・バトルも、2009年のロサンジェルス・ワールドで優勝したエヴァン・ライサチェックと2位のパトリック・チャンも4回転に挑まないままメダルを手にしたことの理由について下記のように書かれています。

P106 ①今の採点方式では以前と比べ物にならないほど密度の濃いプログラムを滑ることが要求されていることだ。かつてはジャンプに集中していればよかったエネルギーを、分散せざるを得なくなった。

 たとえば、今ではプログラムのハイライトの1つであるステップシークエンス。昔からステップシークエンスはあったが、あくまでも「エッジの使い方を見せる」ものだった。両手をハの字に固定したまま、下半身だけを使ってすいすい滑る。かつてはそんなスタイルだった。

 だが今のステップシークエンスは上半身の動きも判定対象となった。

②またスピンコンビネーションで高いレベルを得るためには、回転数を数えながらエッジや体のポジションを変えていかなくてはならなくなった。このようなスピンコンビネーションは、その後のジャンプの体力を奪うほどエネルギーを消耗させるのだという。

③そしてさらにジャンプの判定が、以前とは比べ物にならないほど厳しくなった。難しいジャンプに跳んでも、失敗すればざっくりと原点される。

4回転トウループの基礎点は9.80だ。だが回転不足で転倒すると、基礎点が3回転トウループの4.0に落とされる。さらにジャッジは、回転数の場合はマイナス3のGOEをつける。4回転に挑戦したその見返りが、わずか1.0ポイントだ。しかも転倒はマイナス1の減点なので、事実上ゼロになるのだ。

 たとえ転倒していなくても、ジャンプの回転が足りているかどうか厳密にチェックされる。肉眼で見てもわからない程度の足りなさでも、専門家たちがハイビジョンのスローモーションで判定するのだから、ほんの少しのごまかしもきかない。

 それなら難易度を下げても、質のいいジャンプを跳んで、プラスのGOEを特典で稼ぐほうがいい。そう判断する選手が続出するのも無理はない。実際その戦略で、2年続けて男子世界チャンピオンが誕生したのである。

いくら濃いプログラムを滑ることになったからといっても、フィギュアスケートはスポーツなのですから、高難度技に挑戦しなくなった時点で終わりだと思いますけどね。ここは解釈が分かれる所だと思いますね。

それからインマンメールについても詳述されています。私はこのインマンメールについて名称は知っていても内容は知らなかったので、この本を読んで詳細が分かって良かったです。バンクーバー五輪は男女シングルの採点で揉めた大会だったんですね。

バンクーバー五輪のプルシェンコの採点について、米国陸軍の楽団にいたミュージシャンでISUのジャッジでレフリーの資格を持つジョセフ・インマン氏が、「欧州選手権の後の取材で、ある選手が『我々のプログラムはジャンプに集中しているので、トランジションが入っていない』と発言した。本人たちが認めているのなら、ジャッジはどのような採点をすべきかな? 興味深いではないか」という内容のEメールを60人の国際ジャッジとスケート関係者達に五輪開催直前の2010年2月3日に送信しました。

北米VSロシアの構造が2010年迄は北米の方が強かったのですが、2014年以降はロシアが独走ですよね。無敵です。しばらくロシア一強が続きそうです。

クープ・ド・プランタン2020に日本から派遣を中止になりましたね。仕方がない事だと思います。世界選手権がどうなりますかねえ。
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今日からサンクスツアー神奈川公演が開催されますね。行かれる方は楽しんでいらして下さいね (^^♪

フィギュアスケート 氷の上で感じた世界
フィギュアスケート 氷の上で感じた世界 (日本語) 単行本(ソフトカバー) – 2019/12/18
小塚 崇彦 (著)

小塚崇彦さんは幼い頃から佐藤信夫先生と家族ぐるみでお付き合いされているので、文章がまるで佐藤信夫先生がお話されているような様子が脳裏に浮かびました。

諦めない力 フィギュアスケートから教えられたこと
諦めない力 フィギュアスケートから教えられたこと (日本語) 単行本(ソフトカバー) – 2018/3/2
佐藤 信夫 (著)

この本は専門誌『フィギュアスケートLife』に『スケートのココが知りたい!』として連載されたものをまとめたものです。

私は小塚さんのファンではないので全然小塚さんに興味がなくて、いつ何のプログラムを滑っていたっけ?というのが頭に浮かんできませんでした。

小塚さんのおじいさんが満州チャンピオンの光彦さんでお父さんが五輪代表でお母さんもスケート選手で、お母さんの一番下の妹=叔母さんが坂野浩子という新横でインストラクターをされている元アイスダンスの選手というスケート一家のサラブレットなんですよね!小塚さんはイーグルが上手で衣装がダサい・・・あんまり冴えない印象を持っていました ('◇')ゞ ファンの方ごめんなさい m(_ _)m

今は4回転ジャンプを複数跳ぶ選手が優勝する時代ですが、小塚さんが現役の頃は4回転論争がありましたよね。エヴァン・ライサチェクさんは2010年のバンクーバー五輪では4回転を回避して、無難にまとめて優勝しました。出来栄え重視の頃のフィギュアスケートはつまらなかったですよね。

四回転時代の走りのエルヴィス・ストイコさん、その後の世代のヤグ&プル二強時代は男子シングルが楽しかったですよねえ ワクo(´∇`*o)(o*´∇`)oワク

佐藤信夫先生は引退後にアイスショーで活躍することを視野に入れて、4回転ジャンプをたくさん跳び過ぎると怪我をするからと練習でも回数を制限されていたそうです。

ジャンプを習得していく順番は一般的に、トウループ→サルコウ→ループ→フリップ→ルッツ→アクセルという難易度順に習得しますが、フリップとルッツの跳び分けをしっかりさせるために信夫先生はフリップの後にループか何か他のジャンプを挟んでからルッツを教えていたそうです。

コンパルソリーがあった時代には毎日4~5時間も練習をしなければならかったそうです。ターンを描くのはそのくらい難しいということなんですね。信夫先生曰く、ループは時間をかければどんな人でもできるようになるけれど、ロッカーやカウンター、スリーターン、ブラケットといったターンを描くのには、スケートの感覚がないとできないのだそうです。意外ですねえ。

小塚さんはフィギュアスケートと並行して小学校3年生までアイスホッケーもやっていたそうです。スケーティングやステップに関して、アイスホッケーの経験はとても大きかったと思われるそうです。小塚さんのスケートのエッジが深いと言われるのはアイスホッケーの経験が繋がっているようです。

宇野昌磨選手はアイスホッケーをしていたので、昌磨選手のエッジ使いに関係していると小塚さんは思われるそうです。昌磨選手の弟の宇野樹さんはアイスホッケーの選手ですよね。ペアの選手だった高橋成美さんはアイスホッケーに転向しましたね。

信夫先生が長くコーチを続けている理由を小塚さんは以下のように分析します。「ルールだけではなく、時代とともに変わっていく考え方などにも臨機応変に対応できる人が、コーチとして残っていくのでしょうね」ということです。

ここで失敗した場合は、こうやってリカバリーしよう」ということを、選手たちはみんな考えているので、1992年アルベールビル五輪のフリーで伊藤みどりさんが最初の3Aで転倒した後、プログラム後半でもう一度跳んで成功させて銀メダリストになったのは、あれもきっと練習でやっていたことで、後半の3Aを練習で跳んだことがあるという自信があったのだと小塚さんは思われるのだそうです。

[HD] 伊藤みどり Midori Ito - 1992 Albertville Olympic - Free Skating

https://youtu.be/xBirfmvidEE

小塚さんのお父さんの嗣彦さんは国際審判員の資格を持っていて、2005年のGPシリーズ中国大会で「スケート技術」で荒川静香さんをイリーナ・スルツカヤさんより高い得点にしたたった一人の審判だったそうです。ISUからイエローカードをもらって始末書を書かされたそうです。

荒川さんのスケーティングスキルを皆さんよく褒めますね。小塚さんは荒川さんのSSを「ほどよく弾力のあるプリンをすくうような滑らかなスケーティングで″伸び″があって素晴らしい」と評しています。

小塚さんはスケート関連のお仕事を干されると困るのか、織田信成さんと松岡修造さん化していますね (;'∀') P83「羽生選手は、もちろん基礎がしっかりしていますし、そのうえGOEを高くする技をたくさん入れて個性を出しています。こういう選手を、今のISUは理想としている、ということですね。

小塚さんは中学入試を経験されているんですね。第1志望に落ちて第2志望は受かったけれど、スケートの練習時間を取るために公立中学に進学したんですね。文武両道なんですね。

スケートの練習や試合のために、学校を遅刻したり早退したり欠席したりが多くて、それが原因で少しいじめられたそうです。学校以外に居場所があったのが救いになったようです。日本の学校には子供に逃げ場がありませんから、学校の外に居場所がないと精神的に救われません。

P130「中学生のころって、些細なきっかけで誰もがいじめられる対象になりますよね。僕も、学校に行くと蕁麻疹が出たりして楽ではなかったのですが、でも学校のあとにスケートリンクがあった。学校以外に行く場所があるというのは、本当によかったと思っています。

信夫先生はお母さんがスケートの先生をされていたんですね。小塚さんのお父さんの嗣彦さんが信夫先生のお母さんの所に名古屋から大阪まで習いに行っていたそうです。

小塚さんのお母さんである幸子さんの近所のお姉さんにスケートリンクに連れて行ってもらったのがきっかけでスケートを始めたそうです。そのお姉さんが佐藤久美子先生なんですね!どうりで小塚さんと信夫先生夫婦が親戚のように見えますものね。強固な繋がりを感じます。

中京大学のスケートリンクの貸切り練習では、小塚さんと真央さんの2人だけということも多くあったそうです。小塚さんが怪我で練習を休んで信夫先生も来ない時には真央さんが1人で貸切り練習になってしまっていたそうです。練習に気持ちも入りにくいし、真央さんはきっと大きな孤独感を味わっていたのではないかと小塚さんは当時を振り返ります。

長久保裕コーチが3Aが跳べなくて困っている真央さんに思わず声をかけたというエピソードがありましたよね。でも、この本では小塚さんのお母さんの幸子さんが可能な時はできる限り、何も指導せず真央さんの練習を見守ってくれていたことがあったそうです。

安藤美姫さんについて小塚さんは「スケート界で1人天才を挙げろと言われたら、僕は安藤美姫を推します。ほかの選手たちももちろん才能があるから活躍しているのですが、努力が上回っている。でも美姫の場合は、才能7:努力4ぐらいでしょうか。足したら11になってしまうくらいの才能を持っているように思います」だそうです。

あと、『浅田真央 HERO』でサンクスツアーにはトレーナーが2名帯同されていました。

小塚さんも出水慎一さんというトレーナーと出会って自分との身体と向き合うことを学んだようです。小塚さんは水泳の立石諒さんと友人だそうですし、山一ハガネさんとブレード開発をしていますね。その関係でスピードスケートの清水宏保さんとスケート靴の開発を手掛けるきっかけを紹介してもらったそうです。人脈が広いですね。

本当は言いたい事は山とあるが、仕事に差しさわりがない程度に書いてますという感じに見受けられました。また、小塚さんのファンなら現役時代の気持ちが書かれているので嬉しいでしょう。

フィギュアスケートの観戦はしても、選手の立場については知らないので、読んで面白い本でした。佐藤信夫先生の本に似ていますね。

諦めない力 フィギュアスケートから教えられたこと
公開日時:2018-08-26 15:15
http://nutscopanda.blog.fc2.com/blog-entry-1214.html
氷上の光と影」の最後の紹介です。佐藤有香さんのスケーティングスキルとスルヤ・ボナリーの事が書かれていました。ボナリーは世界女王になれないのは、人種差別からだと思っていたようですが、審判から評価を受けなかった理由はスケーティングスキルが全くなっていなかったからなのです。

それで、ボナリーは自分が評価されていなかった事を全然気付いていませんでした。氷上で宙返りができる程の身体能力を持ち、当時女子で初の4回転ジャンプを成功であろうと言われていました。プロ転向後、スケーティングを見直したとは思えませんし、自分は改善する点がないと思って過ごしていたようです。

確かに、ボナリーは滑るというより、氷の上を飛び跳ねていました。私は当時、あれがスケーティングスキルのなさから来るものだと知りませんでした。ボナリーは氷をガリガリと削って進んでいたのです。

P116  スケーター対ジャンパー

 滑っていても、氷の上に乗っかっているだけの選手と、氷をつかむようにして滑っている選手がいる。

 2002年ソルトレイクシティ五輪銅メダリスト、米国のティモシー・ゲイブルは天才ジャンパーだったが、氷をつかむことのできない選手だった。スケーティング中の姿勢が悪く、ステップシークエンスの部分では先に動いていく足に、体をようやく乗せているというように見えた。それでも1999年スケートアメリカのフリーでは、4回転を3度跳ぶという離れ業を成功させて世界初の記録を作った。

 もう1人、スケーティング技術は決してうまくないと言われた天才ジャンパーは、フランスのスリヤ・ボナリーだった。

 元体操選手だったボナリーは、本来エッジを使って跳ぶジャンプの基礎を無視して、フラットなエッジの状態のまま跳ぶ。それでもちゃんと3回転空中で回って降りてくる彼女の運動能力にジャッジたちは舌を巻いていた。試合では成功してはいないが、4回転サルコウにも挑戦していたほどである。

 「私にとって、3回転ジャンプなんて簡単なの」と言い切ったボナリーが、毎回技術点は高いものの、演技点で著しく下げられた。

 そのボナリーが1994年に世界タイトルを争った相手が、佐藤有香だった。

 フリーでは佐藤が3回転を6回、ノーミスで降りた。ボナリーは3回転を7回やり、1度は片手をついたもののコンビネーションジャンプが3回入っていた。ジャンプの難易度としてはボナリーのほうが上である。

 だが滑りの質は、比べ物にならないほど佐藤のほうが高かった上半身がほとんど揺れずに、水の流れに浮かんで移動していくような佐藤のスケーティングと、膝を曲げたままガリガリと蹴って進んでいくボナリーの滑りは、実に対照的だった。

 それでも判定は接戦だった。9人のジャッジが5対4に割れ、佐藤有香が世界チャンピォンになった。ボナリーは表彰式で2位の台に乗ることを拒否し、なだめられてようやく上がったが、首にかけられた銀メダルを泣きながらはずした。

 「ほかの人と同じように滑っているつもりなのに、なぜ評価してもらえないのかわからない。私が黒人だからなのかしら」

 記者会見でそういったボナリーは、おそらく本当に自分の欠点がわかっていなかったのではないあろうか。何人ものコーチにつきながらも長続きせず、結局スケートのコーチではない彼女の養母が指導していた。これもボナリーが関係者たちから批難された一因だった。彼女は世界選手権銀メダルを3回獲得しながらも、ついに世界チャンピォンにはなれなかった。

 その4年後の1998年長野五輪のフリー演技中、ボナリーは後方宙返りをしてみせた。ISU競技では禁止されているアクロバット技である。アマチュア最後の大会で、彼女がフィギュアスケートでは許されない技を見せつけたのは、象徴的なできごとだった。

 あれほどの運動能力を持ちながら、ボナリーは最後まで、「skater's skater(スケーターの中のスケーター)」にはなれなかったのだ。

SURYA BONALY 1998 NAGANO OLYMPICS japanese version

https://youtu.be/GvJtKOxSMYE?t=3m58s

この動画にはInternational Olympic Committeeさんのコンテンツが含まれているため、要望によりこのウェブサイトまたはアプリケーションでの表示はブロックされています。

刈屋富士雄アナの実況だぁ~♪解説は佐藤有香さん。この二人の組み合わせが最高だったのにー!

ボナリーは長野五輪の時、24歳。元々、滑らかな滑りをする選手じゃなかったのが、加齢でさらにスケートが重くなり、エッジがストッパーとなって、ジャンプの後に身体が前のめりに止まってしまう。

最後の五輪で、バク転をやって審判に抗議して、果たしてすっきりしたのだろうかね。ちょうど夏季と冬季五輪を2年差にしようという過渡期で、五輪に3度出られたという運の良さ。メダル争いから外れたとはいえ、フランス代表としてはやってはならない行為だと思うけど。

Medal Awards Ceremony - 1994 World Figure Skating Championships, Ladies' Free Skate

https://youtu.be/YnZjs6qsHA0?t=3m4s

いくら結果が不服でも、表彰台で泣きながら、首からかけられたメダルを外すのは、良くない態度だね。ボナリーは元々、器械体操をやっていて、フィギュアスケートのコーチと上手くいかず何度もコーチを変える。最終的には養母がコーチになるという事になる。

養母は器械体操の専門家であっても、スケートは門外漢で、スケーティングスキルがないから、点数が低いという発想に至らなかったのだろう。

How Backflipping Black Figure Skater Surya Bonaly Changed Sports Forever

https://youtu.be/pAhyMl_ZS04

エキシビションでバク転するのは構わないというけれど、それでも危ないねえ。ボナリーのバク転は片足で着氷して、そのままスパイラルにシフトする。ホントにすごい身体能力ですねえ。

この人にはフィギュアスケートよりも曲芸団(サーカス)の方が似合っていると思うけど。サーシャ・コーエンもトリノ五輪の後、現役引退を表明せず、ショーに出まくったりしていた時期に中国雑技団と一緒にパフォーマンスをしていました。

Stars on Ice - Weiss, Cohen, Lauzon, Zimmerman- Enchantment

https://youtu.be/lnBCDri4CUQ

シナー雑技団風の動画は削除されてしまって、ブログに埋め込みできません。2008SOIのこのパフォーマンスを見ても、サーシャもスケートより軟体演目団の方が似合っていると思った。

9記事に渡ってご紹介してきた田村明子さんの「氷上の光と影」でも、サーシャは軟体技は良くても、氷を掴むのは上手くなかったと書かれている。軟体美ポジでごまかされてしまったけれど、スケーティングは滑らかではないし、ジャンプの踏切りエラーは見逃されて来た。

そのような視点で見てみると、フィギュアスケートって一体何をするスポーツなんでしょうね。スケート本来の滑りの上手さで競うものから、いつの間にか派手なパフォーマンスをする選手の方が点数を貰えるという方向にシフトしていったんですね。
(*っ´∀`)っ⌒⑦からの続きだよんー☆

P66  不当に強調された「採点疑惑」

 ルグーニュは、ISUからジャッジ資格停止処分を受けた。だが彼女はフランスに帰国してから、自国メディアに対して「良心に従ってロシアに投票した。米国では周囲とメディアの圧力から、己を失ってあのような発言をしてしまった」と一貫して主張してきた。

 本人がレフェリーミーティングで告白した、フランス連盟のディディエ・ガヤゲ会長から受けたという圧力がどれほどのものだったのか、それが本当に彼女の投票に影響を与えたのかは、未だに不明のままである。

 1つ確かなのは、あの状況下の北米で開催された大会でなければ、感情的になったステイプルフォードにホテルのロビーで詰め寄られなければ、レフェリーがたまたまアメリカ人でカナダを過度に擁護していなければ、ミーティングで本人が泣き崩れて告白するようなことは起きなかったに違いないということである。

 では「公正に」採点していたなら、ロシアの演技は本当に金メダルに相応しくないものだったのか。レフェリーのロン・ペニングが「ロシア汚を1位にしたジャッジは不正直だった」というのは妥当な意見なのだろうか。

 佐藤有香は、この日会場でペアを観戦していた。1994年女子シングル世界チャンピォンの彼女は、プロに転向してから夫で元全米チャンピォンのジェイソン・ダンジェンとペアチームを組んだ。今ではシングル、ペアの両方でアイスショーに出演している。

最初の印象は、カナダかな、と思いました。でもその後何度かビデオを見ると、ロシアのペアは非常に難易度の高い、密度の濃いプログラムを滑っている。それに比べると、カナダのプログラムは五輪用としては物足りないと思った

そう彼女が語る通り、カナダの滑った「ある愛の詩」は実は五輪用として制作されたものではなく、その2年前のシーズンに使われていたプログラムであった。このプログラムを制作したコリオグラファー(振付師)のローリー・ニコルは、ソルトレイクシティ五輪から1年過ぎた2003年5月、トロントでこう語った。

「私が五輪用に製作したラフマニノフのプログラムは、彼らには難しすぎたのです。カナダ国内選手権で優勝したときですら、きちんと滑りきることができなかった。それで『ある愛の詩』に戻したいと相談を受けました。五輪はそうでなくても極度の緊張を強いられる舞台なので、選手は滑っていて楽なプログラムを選ぶべきだと同意したんです」

 一方ロシアチームのコーチで振付もしたタマラ・モスカビナは、「北米で開催される五輪で優勝するためには、極限あで難易度を上げなくてはならないと思っている」と語っていた。前年のバンクーバー世界選手権で、ノーミスでも2位にお会ったことが苦い教訓となって頭の中に残っていたのだろう。

 要するにカナダは「滑りやすいこと」を最優先にして、楽なプログラムを選んでノーミスで滑った。一方ロシアは「難易度が高いこと」を最優先にしたプログラムで、男性がわずかなミスをしたのだった。

 カナダに1票を入れた杉田秀男氏は、国際ジャッジを35年つとめたベテランである。

「私はカナダを上にしたが、それも技術点を0.1上にしただけの僅差。今でもその判断は間違っていなかったと思っている」

だが同じく国際ジャッジの経験豊富な城田憲子氏は「もし私がジャッジパネルに入っていたら、ロシアを1位にしただろうと思う。2チームの差はその程度のもの。どちらに転んでもおかしくなかった」と語った。

> ルグーニュはフランスに帰国してから、自国メディアに対して「良心に従ってロシアに投票した。米国では周囲とメディアの圧力から、己を失ってあのような発言をしてしまった」と一貫して主張してきた。

> あの状況下の北米で開催された大会でなければ、感情的になったステイプルフォードにホテルのロビーで詰め寄られなければ、レフェリーがたまたまアメリカ人でカナダを過度に擁護していなければ、ミーティングで本人が泣き崩れて告白するようなことは起きなかったに違いない

上の二つの条件を鑑みると、北米で国際的なスポーツ大会が開催されるのは、アメリカ人とカナダ人以外の国の人にとって、非常にリスクが高いと感じる。いちゃもんを付けられる可能性が高い。

そして、自分の国の優位性を示すために五輪開催をしているんだと思うような気がしたのを、銀行場五輪で真央さんの事を褒めてくれていたエミリー・フランケルさんが論破してくれていました。

バンクーバーオリンピックについて語る(字幕付き)

http://www.nicovideo.jp/watch/sm14893327  (5:55~)

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エミリーさんはアメリカ人なのに、ナショナリズムを前面に出した五輪はおかしいのではと疑問を呈していらっしゃるけれども、やはり歴史のない国、先住民を蹴散らして作った国は伝統がない。なので、五輪で国をまとめる雰囲気を作り出すんだろうなと思う。

塩湖五輪のペアに対する佐藤有香さんの分析は正しい。本来、難易度の高いプログラムをミスを最小にして演じた選手が上位に来るべきである。それが塩湖、つまり旧採点方式の頃までは、保たれていたという事が分かる。

採点がおかしくなったのは、新採点方式が導入されて、機能し始めるトリノ五輪後。2007年の夏、テョン国のホラマサは7年後の2014年冬季五輪の開催地になれなかった。

2007年からテョン国ピギョの壮絶な嫌がらせが始まったが、真央さんは2008年のワールドにおいて、17歳、日本人として最年少で、初優勝してしまう。

杉田秀男氏は佐藤信夫先生の先輩に当たる人で、私が読んだ限りの杉田氏のコラムでは、特定のえこ贔屓の選手はいないように思えた。その後、私が読んでいない記事では変わっているのかもしれない。

城豚女史のコメントまでご丁寧に付いているけれども、この人、日本スケ連の不正会計で追放されたのに、なぜ戻っているのでしょうねえ。元アイスダンスの選手だったので、シングルの選手よりチームプレイができるかもしれないけれど、スケートは所詮個人競技。よっぽど組織で働くのが好きなんだねえ。

このおばさんがスケ連からいなくなれば、副怪鳥さんへの援護射撃というか操り人形化が終わって、まともな組織になりそうだけど。

もう真央さんは引退して、みどりさんもスケ連と距離を置いているように、これからずっとスケ連と関わりない人生を送って欲しいと願っているので、この腐敗組織がさらにぐちゃぐちゃになろうと、どうでもいいと思ってる。
ヽ(・∀・` )っ⑥からの続きだよ~☆彡

P63  カナダ有利のお膳立て

 五輪開催前から、風は北米に向かって流れていた。

 前年カナダのバンクーバーで開催された世界選手権では、サレ&ペレティエがベレズナヤたちを抑えて優勝した。だがヨーロッパ人の記者が会見で指摘した通り、この大会では明らかにロシアのペアの演技のほうが、出来がよかった。だが差がそれほど大きくない場合、主催国の選手にご祝儀のようにして高めの得点が出ることは、フィギュアスケートではままあることである。ドイツの通信社の記者、アンドレア・フランクは「明白な開催国有利の判定だ」ともらした。

 だがソルトレイクシティ五輪の場合と違ったのは、「判定が不当」という声が、北米のメディアからまったくでなかったことである。どこの大会でも米国メディアが主導権を握って世論を作っていきがちだが、北米開催の試合ではことさらその傾向が強い。五輪前年の世界タイトルは平年よりのそれより値打ちが大きく、ここでカナダが優勝したことは五輪に向けて王手をかけたも同然だった。

 五輪ペアの金メダルは、1964年からずっとソ連・ロシアが独占してきた。40年ぶりに北米チームがロシアを破ることができるか。五輪開催前に放映された北米の特集番組では必ずサレ&ペレティエが登場して、打倒ロシアの空気を盛り上げていった。カナダをヒーローにするお膳立ては、すべて事前に揃っていたのである。

 また五輪のわずか5ヵ月前、世界中を震撼させた同時多発テロ事件が起きていた。それに伴い、この五輪開催中現場にはずっと普段と違う、まるで戦時下のような緊張感があった。反動で米国人の愛国心に火がつき、普段にもまして北米至上主義の空気が一貫して流れていたことを否定できない。

 北米のメディアはシハルリゼがよろける瞬間だけを、何度も何度も放映した。

 だがサレ&ペレティエはSPの最後のポーズで転倒している。技の最中ではないため直接の減点対象にはならないが、それでもまったくのノーミスだった他のチームを押しのけてSPで2位になったことには批判的な意見もあった。何度も繰り返し放映された映像が、たとえば彼らのこのSP転倒シーンだったらどうか。あるいはウォームアップの最中にサレに激突されたシハルリゼの映像だったとしたら。一般大衆の頭にすりこまれた印象は、まったく別なものだったはずである。

ロシアのペアが、かわいそうだよ。もういい加減にしてやればいいのに

 日本から取材に来ていた記者たちからは、そういう声がもれた。現地に派遣されていた記者の大多数は、この騒ぎに尋常ではないものを感じ取っていた。現地から送られた新聞記事のほとんどは、行間にこのヒステリックな騒ぎ方の異様さを匂わせている。だが現場を見ていない新聞社の論説委員たちのコラムは、「不正は許せない」というトーンで一貫していた。日本のあるテレビ局のキャスターは、「ロシアは金メダルを返すべきだ」とまで発言したと聞く。

 フィギュアスケートの内部事情にうとい一般メディアが、米国の一方的な報道の尻馬に乗ってしまう形になったのはやむを得ないことだった。

 アントン・シハルリゼは、ソルトレイクシティに滞在中8キロ体重が減ったという。

「これでよかったんだろう。出ろというなら、彼らと一緒にまた表彰式に出席して構わない。頼むから、もう騒ぎはこれでおしまいにしてほしい」

 カナダに2個目の金メダルが出されることの感想を聞かれて、シハルリゼはそう語った。

「いっそのこと金メダルを3つ出したら?キョウコとジョン(彼らのトレーニングメイトで米国代表のイナ&ジンマーマン。総合5位)も完璧なプログラムだったもの」ベレズナヤはそうコメントした。ノーミスの演技をしたから必ず五輪で優勝できるものではない、ということを精一杯皮肉ってみせたのだろう。

 ちなみにその後開催されたアイスダンスでは、予想通りフランスのアニッシナ&ペイゼラが優勝した。だがロシアのジャッジは、フランスではなく自国のロバチェワ&アベルブクに1位をつけた。

 ペアの不正採点は本当にあったのか。

 そしてロシアの演技は、本当に金メダルに値しないものだったのだろうか。

> 五輪のわずか5ヵ月前、世界中を震撼させた同時多発テロ事件が起きていた。

大規模テロがあったおかげで、何だか五輪開催の趣旨が変わってしまったんだよね。

> アントン・シハルリゼは、ソルトレイクシティに滞在中8キロ体重が減ったという。

食事を摂っても、身になってない。ものすごい心労。

ソルトレイク五輪は今から16年前に開催された。その時の北米メディアの状況と、今の状況は何か変化があったのだろうか?

今、世界的に記録的な猛暑が続いている。2020年、あと2年後の東京五輪の開催期間が真夏という狂気は、アメリカ様の圧力によるものらしい。(2020年7月24日金曜日~8月9日日曜日)

何でもこの時期は、アメリカではめぼしいスポーツイベントがない閑散期なので、東京五輪の開催を真夏にしろ!という事なのだ。

ロイター
焦点:東京五輪、なぜ真夏に開催か 猛暑で懸念高まる
配信日時:2018年7月30日
https://jp.reuters.com/article/summer-olympics-tokyo-idJPKBN1KK09D

いくら実施時刻を早めようと、熱中症でバッタバタと選手が倒れていくのではないかと予想される。日本の湿度は、日本人からすると日本より暑いと思っている国から来た人が、「日本は自分の国より暑すぎる」と感じるぐらいだ。

お金儲けをする人に権力があり、大会に出場する選手の事なんて、1㍉も考えてはいやしない。

まだ2年あるので、東京五輪の開催期間を秋に変更する事はできないだろうか?選手の皆さんが気の毒でならない。

現代ビジネス
元官僚だからこそ分かる「サマータイム導入議論」のバカバカしさ
投稿日時:2018.08.13
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/56990

それから、日本国民にとっても不幸だと思う事が、サマータイムの導入をたかだか2週間の五輪のために導入しようとしている。欧州のような高緯度にあり、日没が遅い国ではサマータイム導入のメリットがあるだろうけど、日本のような低緯度で日没が早い国には必要ないのではないだろうか?

2時間早くなる事によって、残業が増える事が懸念されている。より過労になるでしょう。サマータイム開始日に遅刻する人続出しそうだし、睡眠障害が起きそう。不眠症を作り出して、医療業界が金儲けという仕組みを狙っていたりして(笑)
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